平素より、福山シティフットボールクラブの活動にご理解いただきまして心より感謝申し上げます。
植田涼吾選手につきまして、現役引退することとなりましたので、お知らせいたします。
▼プロフィール
【氏名】植田 涼吾(うえた りょうご)
【生年月日】1995年8月2日
【身長 / 体重】175㎝ / 72kg
【ポジション】DF
【出身地】広島県
【サッカー歴】MUNE広島→サガン鳥栖U-18→瀬戸内高校→産業能率大学→ブリオベッカ浦安
▼選手コメント
この度、現役引退を決意しました。
これまでサッカー人生を過ごしてきて最高の結果を福山シティFCでは経験できました。
まずは、この決断をするにあたってTwitterを拡散してくださった選手、ファンの方々、実際に色んな手段を使って声をかけてくださった約20チームの関係者の皆様ありがとうございました。
皆様のメッセージや拡散や想いが12月の契約満了から今日までの僕の原動力になりました。
さて、なぜ引退するの?と皆さんは思っていると思います。
実際に1つのチームと契約を交わす手前まで来ていました。今でも待ってくれるといってくれています。もしかしたらそのチームに移籍している可能性もあります。ただ、今現段階では復帰の目処が立ちません。その原因としては、サッカーをしようと思うと無性に怖さや震え、涙も止まらなかったことにあります。何故こうなったかには明確な理由があるので、そちらは僕個人のSNSから整理をしてご報告します。
高校1年のときに環境に馴染めず鬱病になって引きこもりになったときのような恐ろしいものが目の前にはありました。
引退?移籍?就活?それ以前に心が全く整っていませんでした。実際に引っ越し準備をしようとすると手の震えが止まらなかったり涙が止まらなかったり。サッカーをしたくないと体が反応してしまいました。
このままいくとあの時の二の舞になってしまう。それがわかっているからこそ一歩手前で踏みとどまりサッカー選手を引退する決意に至りました。
僕が兄の背中を追ってサッカーを始めた小学1年生のときから天皇杯ベスト6まで勝ち上がることを僕の周りは誰も想像していなかったと思います。夢はプロサッカー選手だったけどそこに悔いは全くありません。それにプロ意識は常に持ってやっていました。誰よりも深い谷と高い山を繰り返したサッカー人生がこれからの人生に生きると思っています。そして今は深い谷。這い上がるための大きな山がまた僕を強くします。
今の現状は、仕事もなくサッカーもできない状態です。
恥ずかしいことでも何でもないと思っています。
僕は、この1年で子供たちのたくさんの笑顔に出会いました。子供たちをたくさん笑顔にする。それが今の僕の夢です。
人と接するのが好きなのでキャリアカウンセラーや人材派遣のお仕事にも興味を持っています。
サッカーもリハビリしながら少しずつでも前に進めたらと思います。ケロッとどこかでサッカーを始めたらその時は笑いながらでも、暖かく見守ってください。
これからの人生をどう生きていくかは自分次第。
色んな想いをこれからもSNSを通じて発信していこうと思います。
ここでサッカーから一時離脱しますが、今後も子供たちや学生たちがよりサッカー界の現状や楽しさを知ってもらえるように尽力したいと思います。
最後に、ここまでくるに至って恩師という方々が僕にはたくさんいます。
サンフレッチェ広島スクールに誘っていただいた長尾コーチ、サンフレッチェ広島jrの岩成監督、MUNE広島の(現広島県サッカー協会副会長)宗政監督、瀬戸内高校の田中先生、安藤先生、山本コーチ、産業能率大学の(現明治学院大)加藤監督、小湊監督、井手口コーチ、ブリオベッカ浦安の都並監督、そして25年間で1番サッカーをうまくしてくれた福山シティFCの小谷野監督、僕のサッカー人生にたくさんの色をつけていただきありがとうございました。
また、瀬戸内高校のときの同級生である石橋一基が僕をここまで踏ん張らせてくれました。
常に走り回り、常に声を張り、100%で戦うことを教えてくれたのはカズです。
これからも見守っててください。
そして、どんな選択をしても常に支えてくれた両親、そして我慢させ続けた弟とサッカーに出会わせてくれた兄、感謝してもしきれません。
これからもそんなことすんの?正気か?バカじゃないの?そんなことをするバカな男です。
これからもバカな息子、兄弟ですがよろしくお願いします。
本当に現役サッカー人生19年間ありがとうございました。
また会いましょう。