STAFF

マネージャー

佐藤 文和

Fumikazu Sato

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プロフィール

ニックネーム サトゥース
生年月日 1988/1/7
出身地 愛媛県
身長 / 体重 170cm / 61kg
血液型 A型
好きな食べ物 豚の生姜焼き、白和え
好きなアーティスト EXILE ATSUSHI、EXILE
好きな色
好きな女性のタイプ 笑顔の素敵な人
休日の過ごし方 DVD鑑賞

サポーターへのコメント

監督・選手がサッカーに集中できる環境作りに努めます。熱い応援よろしくお願いします!

プレーヤーズストーリー

幼少期

1988年1月7日。愛媛県松山市に佐藤家の長男として誕生。3つ下の妹を泣かせては仲直りをしてと手のかかる子供だった。とにかく大きな音が嫌いで、家の近くで開催されていた花火大会の日はトイレでご飯を食べるし、砥部動物園の大きな鳴き声のアシカにはうるさいと言うなど、意味のわからない抵抗をしたりしていた。
4歳の時にサッカーに出会い幼稚園のグラウンドでいつもボールを蹴っていた。当時好きだった女の子に見てほしいという感情があったのだと思う。

少年期

小学3年時に、少年団の石井SCに入団。チームでは中心選手としてプレーさせてもらった。小学4年時には、サッカー素人の父親もコーチに入閣(今も続けており23年目)。家族揃ってのサッカー漬けの日々が始まる。点を何点とったらスパイク買ってもらうなど、本当に親には迷惑をかけた。中学では麻生SCに入団。クラブチームだったので、初めて上手い選手と一緒にプレーし、自分の実力を知った。中学ではほとんど試合に出ていない。でも、このチームがサッカーに対しての想いや好き度を確立させてくれた。

青年期

全国大会を経験したいという思いから、愛媛県の同年代のスター達が集まると噂になっていた松山工業高校へ進学する。ここで恩師の谷謙吾先生(現今治東中等教育学校)に出会う。全国の強豪校と試合をしたり、練習の大切さ、サッカーの奥深さ、楽しさ、厳しさを教えてくれた。
1、2年時はAチームに絡むことはほとんど無かったが、3年時に途中出場で出れるまで成長でき、愛媛県の年間優秀選手にも選出してもらった(18名中12名が松山工高校)。チームは愛媛県の新人戦、インターハイ、選手権を全て獲り、全国ではベスト8になった。1番の思い出であるインターハイのラウンド16韮崎戦では途中出場で1ゴールしたがその後、途中交代した理由はまだ知らない…。そんなサッカーばかりに明け暮れていた私に一つの出来事が自信を持たせてくれた。母から一枚の作文用紙を手渡された。妹が書いた高校受験の小論文の課題だ。テーマは尊敬する人。そこに記されていたのは、私の高校サッカー生活のことだった。本当にサッカーをやってきて良かったと思った瞬間だった。
高校卒業後、広島修道大学に進学。1年時からトップチームに入れてもらえて試合も出場出来た。プレースタイルは3人目の動き出しで裏への抜け出し、ゴール前では美味しいとこを決める。ついたあだ名は”ジャッカル“。天才的なあだ名をつけてもらっていた。そして、私が大学3年時に1年生で入部して来たのが岡本代表(写真19番)だ。当時から、堂々としていた。彼は入部3日後には既に私とタメ口で話していた。人を見極める能力に長けているのであろう。そこから可愛がっていた後輩だったが、今は立場など全てが大逆転している。
大学卒業後、サッカークラブで仕事をしたかったので愛媛FCとサンフレッチェ広島に1日研修に行かせてもらった。だが、即戦力が必要とのことで見送られた。そんな私に前職の会社が手を差し伸べて下さった。この場を借りて感謝を述べたい。社長、営業部長、営業所長、先輩、同僚の皆様のお陰で今の私がいます。本当に心から感謝しています。この温かい職場を辞めてまでやりたかった仕事が今の福山シティFCでの仕事。一度は諦めた夢の仕事を出来るチャンスが目の前にある中で、見逃すことが出来なかった。沢山悩んだが、一度の人生自分で道を切り開いて行くことを決めた。ここで恩師の言葉が自分を決断させてくれた。『意思あるところに道はある』だ。

現在

脱サラをして、福山シティFCのマネージャーを務めさせてもらっている。2020年は本当に沢山迷惑をかけた、沢山失敗やミスをした。だがこれは、2021年へのステップアップの為にあったと言えるようにする。個人として今年は勝負の年。監督、選手がストレスなくTR、試合が行えるサポートをするのがマネージャーの仕事。プロ意識をもち、継続してすることだ。チームはとんでもないスピードで前に進んでいる。その目的は、チームの勝利で福山市民の皆様が元気になり、試合後の家庭では福山シティFCの話で盛り上がったり、あーでもないこーでもないという議論が繰り広げられる週末が来る、そんな未来を創ることです。福山にJクラブを。福山の活気ある未来に向けて、私はチームでのマネージャー業に精進していきます。