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大野 榛里

Shinri Ohno
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム しんり
生年月日 2002/9/26
出身地 滋賀県
身長 / 体重 188cm / 83kg
血液型 B型
利き足
プレーの特徴 ゲームメイク
目標とする選手 ロドリ(マンC)
好きな食べ物 お米・お肉
好きなアーティスト CHEHON
好きな色
好きな女性のタイプ 笑顔が素敵な人
休日の過ごし方 買い物・映画鑑賞

所属・経歴

東舞鶴FC
→SAGAWASHIGA FC
→ガンバ大阪ユース
→レイジェンド滋賀FC

サポーターへのコメント

熱い応援宜しくお願い致します。

プレーヤーズストーリー

幼少期

4歳からサッカーに目覚め、毎日のように家の中でボールを蹴っていた。父の影響でサッカーとフットサルを両立し、ボールを蹴る日々。そして、小学校1年生の時にパラグアイへ留学に行った。右も左も分からず、言葉も全く通じない状態だったが、2日目から友達ができ、気付けば言葉も覚えて話せるまでに成長した。その頃の目標は2つあり、プロサッカー選手になることとキャプテンになることだった。
キャプテンをやりたかった僕に、監督がある大会でキャプテンをやってみないかと話してくれた。そこで僕はキャプテンをすると決め、その大会で優勝することができた。

少年期

家の事情で小学3年生の時に日本に帰国し、家の近くのスポーツ少年団に入部した。帰国したは良いものの、今度は日本語を忘れ、誰ともコミュニケーションが取れず、いじめを受けることもあった。でも、サッカーが好きな僕はサッカーだけは諦めず、どんな時もボールを蹴った。 中学校に上がると、なかなか試合に出れずサッカーが嫌になりかけたこともあった。そんな時にチームメイトが頑張ろうと声を掛けてくれ、様々な壁を乗り越えることができた。最後の大会では、県大会に一度も出場することができなかった僕が、関西大会の初戦でスタメンを勝ち取った。やっとチャンスが来たと思った。とても緊張していたが、人生で1番良いプレーをすることができ、チームの勝利にも貢献した。その結果、試合を見に来ていたJリーグや高校サッカーのスカウトマンに声をかけてもらうことができた。

青年期

高校時代はガンバ大阪ユースに入団することができた。しかし、入団して感じたことは自分の実力の無さ。自分がこの中で1番下手だと心から感じた。僕はもっと上手くならないといけないと思い、グラウンドに残って自主練習をするようになった。グラウンドでボールを蹴り、他の人よりボールに触れ、他の人より走り、努力した。
そして、ガンバ大阪U-23で"J3リーグ"に出場したのは同年代の中で僕が一番最初だった。それが自信に繋がり、サッカーがとても楽しく、幸せな気持ちにもなった。しかし、プロサッカー選手になるという夢は叶わなかった。

現在

ガンバ大阪ユースを卒団し、海外でサッカーをする予定だったが予定通りには進まずサッカーを辞めることになった。約1年サッカーから離れたが、ある人のおかげでサッカーをもう一度やろうと決意した。これまで様々なことを経験したが、またサッカーができることはとても嬉しく、有難いことである。
サッカーができる環境、温かいサポートをしてくれる監督・コーチの存在、そしてパートナーや地域の方々、サポーターの皆様の支援に感謝し、日々のサッカー生活を全力で頑張ります。応援宜しくお願い致します。