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DF

韓 勝康

Sunggang Han
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム スンガン
生年月日 1999/1/19
出身地 京都府
身長 / 体重 180cm / 76kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 対人、ロングフィード
目標とする選手 韓浩康
好きな食べ物 焼肉
好きなアーティスト BLACKPINK
好きな色
好きな女性のタイプ 明るい人
休日の過ごし方 カフェで読書

所属・経歴

京都朝鮮第二初級学校
→京都朝鮮中学校
→京都朝鮮高校
→朝鮮大学校

サポーターへのコメント

沢山の応援をよろしくお願いします!

プレーヤーズストーリー

幼少期

京都府京都市の観光客で賑わう自然豊かな嵐山で生まれた。自分には2人の兄がいて、兄たちの影響で小さい頃からサッカーをしていた。家の周りには広い公園がたくさんあったので、いつも兄弟でサッカーや野球を日が暮れるまでやっていた。
小学1年生から当時京都で1番強かったクラブチームに入り、本格的にサッカーを始めた。
小学2年生の頃に2006年W杯を見て、サッカーというスポーツに魅了されて、真剣にプロサッカー選手を目指し始めた。

少年期

小学生の頃は学校のサッカー部、クラブチーム、京都サンガF.C.のアカデミーに所属し、サッカー漬けの毎日を送っていた。おかげで自然と周りよりサッカーが上手くなっていき、クラブチームでも常に主力選手として、たくさんのタイトルを獲得していた。順風満帆なサッカー人生を送っていた自分だったが、5年生になり全く試合に出れなくなった。自分が所属していたチームは、なかなか知名度が高かったため、違うチームにいた上手い選手たちがたくさん入ってきて、チーム内の競争が激しくなったからだ。ここから僕の挫折だらけのサッカー人生が始まった。
中学生になり、自分は京都朝鮮中級学校のサッカー部に所属した。しかしここでもほとんど試合に出れなかった。なぜなら、自分は他の子に比べて成長期が遅かったからだ。当時自分は148㎝と小柄で、足も遅く、体もとても弱かった。敵をかわしても、すぐに追いつかれるし、当たったらすぐに倒れてしまう。何もできない自分に腹が立っていたし、大好きだったサッカーに対する熱も冷めていった。結局中学時代は特に試合で活躍できず、プロサッカー選手になるという幼い頃からの夢は薄れていった。

青年期

高校はそのまま京都朝鮮高校に進学したのだが、何かを変えたかった自分は意を決して、高校一年生から高校二年生までの一年間ブラジルにサッカー留学をした。本当にたくさんのことを経験して、学んだ一年間だったし、あの一年間のおかげで心身ともにとても成長できた。一年間のブラジル留学を終えて、日本に戻った自分に転機が訪れる。それまでトップ下やフォワードをやっていた自分だったが、すっかり成長期を迎え、身長も180㎝になったことにより、CBにコンバートされた。一回もやったことのない守備のポジション。全くやり方もわからない一からの挑戦で初めはとても戸惑ったが、たくさん試合を見たり、毎朝朝練に出て、自主練をしていくうちにだんだん成長しているのを感じたし、とても楽しかった。そんな高3のある頃、自分がプロになるために何か強みが必要だと思い、昔からキック力に自信があった自分は、ひたすらロングフィードの練習に励んだ。いつも通り朝練に出て、ひたすら壁にロングキックを蹴り込み、午後の練習が終われば、下校時間が過ぎてもひたすらキックの練習をしていた。今の自分のプレースタイルは、その時の努力の賜物だ。
大学生になると、自分は東京にある朝鮮大学校に進学した。ここで僕は今も師匠として仰ぐ人と運命的な出会いを果たす。その人は同じサッカー部の2つ上の先輩で、まさに「サッカー馬鹿」という言葉がぴったりのとても熱く、ストイックな人だった。ポジションも同じCBだったこともあり、僕たちはすぐに意気投合をした。自主練をする時、筋トレをする時、ご飯を食べる時、サッカーを見る時、挙句の果てには、一人用のコインシャワーに二人で入ったりもした。(笑) いつも的確なアドバイスをくれたし、常に自分を気にかけてくれた。今の自分があるのは間違いなくあの人のおかげだし、あの人なしでは今の自分の成長はなかったと思う。
自分は大学2年生からトップチームに帯同していたが、2年、3年のころは全く試合に絡めなかった。今振り返ってみると、2年、3年の時は、試合に絡めなかった時期に自分のメンタル面をコントロールできなかった時があったし、そのメンタルの波がプレーに現れていたと思う。色々なところにベクトルが向いていたし、人のせいやチームのせいにすることも多々あった。四年生になり主力として試合に出たが、そこでもメンタル面の問題に引っかかる。初めは順調だったが、シーズンに入り試合に勝てない日々が続くと、次第にベクトルが周りへと向かった。今思えば本当に未熟だったと思うし、本当に後悔している。しかしそんな中でも、監督は根気強く自分を使い続けてくれたし、何度も何度も自分と真摯に向き合ってくれた。そんな監督には本当に感謝しているし、これからの福山シティFCでの活躍を通じて、恩返しをしていこうと思う。

現在

福山に来て1年が経った。 加入してすぐの頃は、チームのサッカーに適応できず、自分の思い描いていた理想とはかけ離れた現実に戸惑っていた。
正直あの頃はサッカーが全く楽しくなかったし、本当に何をすればいいのか分からなくて、チームの戦術とはかけ離れたプレーをあえてすることもあった。
しかし段々、このままでは何も成長しないまま、何も得られないまま終わってしまうという危機感を感じ始めていた。
何かを変えなければいけないと思った自分は、ある2つの事を始めた。
まず1つ目が、小谷野監督や山根コーチに、何かわからないことがあればすぐに「聞きにいく」事。
これは単純に、自分よりサッカーに詳しい人に聞けば気づく事が増えると思ったし、何より自分で考えてわからないものは、そのまま考え続けていても答えが出ないと思ったから。
大学時代から、自分自身他人に質問しに行ったり、アドバイスを貰ったりすることに苦手意識があったし、何よりプライドが高かったから、そういった事をしてこなかった。
しかし、その変なプライドを捨てて、素直に聞きに行く事が今の自分を成長させる事だと思い、本当に些細な話から、戦術的な細かい話まで、たくさん質問に行った。
そこはもちろん、どんな質問にも真摯に向き合って、アドバイスをくれる小谷野監督、山根コーチの存在が大きかったし、2人から学ぶことはとても大きなものだった。
そして、2つ目に取り組んだ事が、その聞いたアドバイスや、戦術的な話を保存するための「サッカーノート」。
自分は今までサッカーノートを継続的に取り組んだ事がなかった。
しかし、福山に来て、チームスタッフだけでなく、周りのチームメイトに言われた何気ない一言や、自分が試合を通して感じたその全てを、サッカーノートにひたすら書き続けた。
やはり、人間は忘れやすい生き物であるため、誰かに大事なアドバイスを貰ったり、素晴らしい助言を受けたりしても、すぐに忘れてしまう。 だから、それらを保存するために、自分は毎日ノートを取った。監督の話は1ミリも漏らしたくなくて、サッカーノートを継続した。
この2つの事を始めて、福山での生活は一変した。
毎日練習でやるべき事が明確になったし、課題も明確になってきたと思う。
日を追うごとに成長を感じ、毎日がとても充実した。
そうやって、初めて掴み取ったスタメンが6月のFC今治とのTRM。
自分にとっては忘れられない試合となった。
あの時の嬉しかった気持ち、少し報われたという感覚は今でも忘れていない。
そこからは少しずつ試合に絡ませて貰えたが、最終的にスタメン定着とまではいかなかった。
今年1年間を振り返ると、成長はしたものの、結果を残せなかった1年だった。
だからこそ来年は「結果」を出さなければいけない。
急成長を遂げるこのクラブの選手として、自分も並の成長スピードではなく、急成長を遂げて活躍する必要がある。
そのためにこれからも自分らしく、愚直に、熱くサッカーに自分の全てを捧げようと思います。
福山に来て2年目、自分が結果を出して、必ずチームをJFLへ昇格させます。
ファンサポーターの皆様、これからも熱い応援よろしくお願いします。