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MF

三浦 敬太郎

Keitaro Miura
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム ケイタロウ、ケイ
生年月日 1996/4/13
出身地 広島県
身長 / 体重 171cm / 73kg
血液型 O型
利き足
プレーの特徴 右足のキック
目標とする選手 青山敏弘
好きな食べ物 ベジッポ食堂みたいな定食
好きなアーティスト ONE OK ROCK
好きな色
好きな女性のタイプ 綺麗系
休日の過ごし方 温泉、コーヒー、チームメイトと過ごす

所属・経歴

緑井小、佐東FC
→シーガル広島
→ガイナーレ鳥取U-18
→阪南大学

サポーターへのコメント

福山の皆さん今年もよろしくお願いします。素敵な2021年にしましょう!

プレーヤーズストーリー

幼少期

広島県福山市で生まれる。その後しばらくして広島市に移住。活発な子どもで公園遊びが好きなやんちゃ坊主。
今の見た目とは裏腹に女の子に間違われるほどの可愛さを兼ね備えていたらしい。地元の小学校はサッカーが盛んだったため物心がついた頃にはボールを蹴っていた。
週末になると父親とボールを蹴る時間が楽しかった事を鮮明に覚えている。

少年期

小学2年から本格的にサッカーに取り組み始めた。
ひとつ上の学年には名古屋グランパスでプレーしている宮原和也選手がいたりと周りのレベルは高く近辺でも群を抜いてた。そんな環境で小学生時代はサッカーを楽しむ事ができた。
中学生になるとシーガル広島という街クラブに入団した。
もともとサッカーがちょっと出来て上手いと思っていた自分だったが、最初は周りについていけず自分の学年の試合に出ることすら難しかった。しかし、このままではいけないと思いコーチとのサッカーノートのやり取りからレベルアップする為のヒントをもらったりと、貪欲にただひたすらサッカーが上手くなりたい!という純粋な気持ちで何にも疎外されることなく過ごせていた。それと同時にレベルが高い選手に揉まれて練習に行くのが楽しくて仕方なかった。
最終的には県選抜でも中心としてプレー出来る様になった。
振り返ってみると素敵な思い出がたくさん詰まっていた。

青年期

高校はガイナーレ鳥取U-18に所属した。
15歳で親元を離れて寮生活を開始した。365日24時間サッカーに対して真剣に取り組む事が出来た3年間だった。
ターニングポイントになった高校1年の国体ではセンターバックにコンバートされてそこから守備的な選手になるきっかけを与えてもらった。高3になればトップチームの練習に参加する機会も増えて、学ぶ事だらけで毎日が楽しくてしょうがなかった。米子の街も人もすごい好きになったかけがえのない高校3年間になった。
大学は大阪の阪南大学に進学した。
当初は4年頑張ってガイナーレに返り咲く事が目標だったがそれとは程遠い4年間を過ごす事になった。阪南は大学日本一にもなった事もある全国屈指の大学だ。周りにはすごい選手ばかりで自分の実力のなさに呆れたこともある。それと重なり度重なる怪我で満足のいく4年間を過ごす事が出来なかった。すべて自分の責任だ。今でもとても悔しい。
大学卒業後はオーストラリアのチームでサッカーをする予定だったが、日本での準備期間中に右膝前十字靭帯断裂ならびに半月板損傷の大怪我を負ってしまった。手術してリハビリをして競技復帰するには最低でも1年を要した。当然お先真っ暗の現実が突きつけられていた。正直サッカーを辞める事も考えた。けれど、自分の存在価値や意義をもう一度考えて見つめ直した時にサッカーを失う選択肢は自分の中で考えられなかった。必ず良いことがあると信じて無心にリハビリに励んだ。そして忘れもしない2019年の10月岡本代表との出会いが自分の人生を変えてくれた。その時の自分はリハビリ途中でボールを蹴る事も出来てない状況だったが、自分の再起に期待してくれて契約をさせてもらえる事になった。
感謝しかない。久しぶりに泣きそうになったことを忘れない。
リハビリにも熱が入ったし、自分を必要としてくれる事がとても嬉しかったことを覚えている。そして、2020年1月福山シティFCに加入する事になった。

現在

大怪我をしてそこから復帰するまで様々な葛藤があったが プレー出来ている幸せを噛み締めている。 自分が生まれた地でキャリアを再スタートできる事は中々ない。紆余曲折のサッカー人生だがもう一度輝くために自分は走り続ける。何より応援してくれる家族の為に。
最後に、福山は可能性のある街だと自分は思う。
必ずこの地にJリーグの試合がある最高の週末が訪れるように自分たちは努力し続ける。皆さんの活力になりたい。そうなっていく過程を楽しみながらこのチームと共に自分はもう一度大きく成長する。気持ちには引力がある。