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中道 慶人

Keito Nakamichi
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム ナカ、ミチ
生年月日 1998/5/25
出身地 静岡県
身長 / 体重 173cm / 64kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 周りを活かしながら自分も活きること
目標とする選手 山西尊裕
好きな食べ物 パイナップル
好きな色 水色
好きな女性のタイプ 謙虚な方
休日の過ごし方 家でサッカーを見る

所属・経歴

聖隷JFC
→HONDA FC U-15
→藤枝明誠高校
→常葉大学

サポーターへのコメント

覚悟を持って福山にきました。応援よろしくお願いします。

プレーヤーズストーリー

幼少期

静岡県の浜松市浜北区という田舎に生まれる。双子の兄の影響で幼稚園の時からサッカーを始める。そして地元のサッカークラブに入団する。それから1年くらい経った時に交通事故に遭い初めての手術を経験する。必死のリハビリの結果右利きだった自分は左利きに変わっていた。

少年期

お団子サッカーが嫌いだった。たくさんの人が集まり1つのボールを適当に蹴り合うあの空間が嫌いだった。だからその集まりからどこにこぼれてくるかわからないボールを予測し拾ってドリブルしてゴールを決めていた。ゴールを決めるのは最高の快感だった。
学年が上がるにつれトレセンにも選ばれるようになって静岡県のトレセンにも選ばれた。
SHIZUOKAと書いてある練習着を着た時のあの興奮は忘れられない。
中学はHONDA FCのセレクションを受けた結果入団することができた。
入団はできたが、正直自分の武器はこれといってなかった。成長期も人より遅かった。武器もない148センチの選手。当然試合に絡める回数の方が少ない。夜遊びしている同級生が羨ましい時期もあった。
でも負けっぱなしは嫌だった。悔しかった。
武器がないことを武器にしようと基礎から叩き込んだ。最後の大会ではスタメンで出ることができ、藤枝明誠高校に特待生として入学することができた。

青年期

藤枝明誠高校では寮生活をしていた。
「人間性9割、サッカー1割」
これが藤枝明誠高校サッカー部の監督松本安司が毎日のように言っていたことだ。
部員数は150人を超え全国各地からサッカーが上手い子が集まっていた。6カテゴリーで編成されていて、自分は1番下のカテゴリーからのスタートとなった。勿論、悔しかった。でもやることは変えなかった。朝6時から自主練習をした。学校が終わり走ってグランドまで行きチーム練習をする。毎日出せる力を出し切った。武器がないからこそ、当たり前のことを当たり前にやった。
高校最後の選手権では静岡県予選優勝、そして静岡県のベストイレブンにも選出された。
自信を持って挑んだ全国大会だが、1勝もできなかった。
大学は静岡県内の常葉大学という大学に進学した。全国へリベンジするという気持ちを持って入学したが、1年目のトップチームの公式戦、出場時間0分という中学校、高校と同様見事なスタートダッシュ失敗。サッカーの理解度が足りなかった。武器がない自分にとっては致命的な課題だったが、課題が明確な分ポジティブな毎日を送れていた。
サッカー選手である前に1人の人間として成長するためにまずは読書を始めた。
たくさんの本に触れるたびにたくさんの考え方、価値観を学ぶことができ、少しは成長できたような気がした。今でも読書は好きだ。
2年生から試合にも出れるようになり、サッカーでも人間としても成長することができた。

現在

福山シティFCに入団が決まった。
天皇杯で見た、Jのチーム相手に自分たちのサッカーを貫き通す。テレビの前で90分間ずっと立ちっぱなしだった。あっという間だった。それほど見ていて楽しいサッカーだった。俺も早くあんなサッカーがしたいと思った。
福山のために、福山シティFCを応援してくださる方々のために自分の持っている力を出し、そんな方々の活力になってほしい。
福山にきた意味、福山シティFCでサッカーをする価値を決めるのは自分自身だ。
だから福山の週末には熱くて楽しい応援文化、
新たなスポーツ文化を根付かせたい。
これからも自分自身と向き合い、成長し続けたいと思っている。