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大野 秀和

Shuto Ohno
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム しゅーと
生年月日 2001/2/23
出身地 愛媛県
身長 / 体重 165cm / 65kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 相手をはがすプレー
目標とする選手 大島僚太
好きな食べ物 サーモン
好きなアーティスト コブクロ
好きな色
好きな女性のタイプ 生活意識高い人
休日の過ごし方 釣り、アウトドア

所属・経歴

キッズFC
→FCゼブラ
→成立学園高校
→FC今治

サポーターへのコメント

今シーズン、熱い応援をよろしくお願いします!

プレーヤーズストーリー

幼少期

2001年2月23日愛媛県松山市、4人兄弟の3男として生まれる。両親と兄の影響で、必然的にボールに触り始め、同時に体操スクールにも通わせてもらっていた。今思うと、この時期に身体の柔軟性、バランス感覚を養えたことはとてもプラスになっていると思う。

少年期

小学生の頃は同じ歳の子の中で、とても小さく、足も遅かった。だからとにかく誰よりもボールに触り、扱えるようになりたかった。1時間前にはグランドに来て、リフティング、コーンドリブルをするのが日課になっていた。2人の兄の存在はとても大きかった。サッカーにおいても生活においても全てマネしていた。身近に見本となる人がいてくれたことは、幸運であり感謝しかない。
中学生になると、もっとサッカーに時間を費やしていた。県では1、2番のチームだったが、四国では勝てなかった。中2の頃オランダのアヤックスの練習に参加させてもらった。体格差がとてもあり、見下されているようだったが、自分が1番技術的に優れていて、上手だと感じ、自信にもつながった。小、中では、サッカーと並行してフットサルもやらしてもらっていた。とにかくボールに触れる時間が多かったと思う。

青年期

高校は兄の背中を追って、東京の成立学園に進学し、寮生活でサッカー漬けの日々をおくった。入学当初、身体能力、フィジカルが底辺だった自分は、走りの基本タイムにすら入れず、難しい時期を過ごした。プロになるために、選手権の舞台に立つために、高校に進んだ自分だったが、1番重要とされる2年の時には、怪我でほぼ1年間を棒に振った。トップチームで初めて公式戦に出たのは、最後の年になってからだった。そしてようやくスタメンに定着し、チームの中心になっていったが、インターハイ、選手権と全国のピッチには立てなかった。チームメイトが1人、2人とJクラブから声がかかり、内定が決まっていった。焦りと不安でいっぱいだった。結局どこからも声がかからないまま、スタッフの勧めで、当時JFLだったFC今治の練習、試合に参加さてもらった。
そして、卒業後FC今治でプレーさせてもらうことになった。
1年目には、JFLからJリーグに昇格を経験させてもらった。試合に全く絡めてない自分は、とても嬉しくはあったが、悔しい気持ちも強かった。
2年目も状況はあまりかわらなかった。課題をひとつずつクリアしていき、くさらずに、やり続けるしか無いと思った。

現在

そして、3年目を迎える自分は決断し、福山シティFCの目指しているところ、考え方、スタイルにも共感し、プレーさせてもらいたいと考えた。何かを変えるため、自身がもっと成長するため、福山シティFCでプレーさせてもらうことになった。この環境を用意してくれた、全ての人にプレーで、結果で恩返ししたいと思っている。