プロフィール
ニックネーム | りく |
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生年月日 | 1998/2/3 |
出身地 | 静岡県 |
身長 / 体重 | 177cm / 71kg |
血液型 | A型 |
利き足 | 右 |
プレーの特徴 | コーチング、キック |
目標とする選手 | ロナウジーニョ |
好きな食べ物 | ピーマンの肉詰め |
好きなアーティスト | かりゆし58 |
好きな色 | 緑 |
好きな女性のタイプ | 何事も頑張る子 |
休日の過ごし方 | フィッシング |
所属・経歴
アプローズFC
→ジュビロSS磐田
→前橋育英高等学校
→大阪体育大学
サポーターへのコメント
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プレーヤーズストーリー
幼少期
石川県加賀市の田舎に生まれ、山に囲まれた自然しかないようなところで幼稚園前まで過ごす。幼稚園に入学する年に父親の仕事の都合で静岡県袋井市へ移住。活発で運動が大好きなちびっ子だった。サッカーを始めるまでには野球、陸上、水泳、テニスといろいろなスポーツをかじったが、友達に誘われたサッカーが長続きした。最初はスーパー瞬足なサイドハーフだった。ベイルだった。
少年期
3年生から始めたサッカーは仲良しな友達と毎週会えることと、練習後にみんなで遊ぶことのためにやってた可能性が高い。練習会場の小学校の水路で一生ザリガニ釣りをしていた記憶がある。
楽しくサッカーをしていた(いや、遊んでいた)平田少年のサッカー人生を変えた夏がやってくる。4年生だっただろうか。夏休みの12:00からのテレビの特番で「アニメ一挙見」的なやつで「キャプテン翼」が放送されていた。その当時はキャプテン翼というアニメ自体全く知らなかったけど、サッカーのアニメやしおもろいやろうし一応見とこーくらいのノリで見てたんだと思う。そこでサイドを光の速さで駆け抜けるスーパードリブラー平田くんは思った。「おいおい、シュートを決めまくる翼くんより、シュートを止めまくる若林くんの方が何倍もかっこいい」と。ここからスーパーグレートゴールキーパー平田くんが誕生した。次の日の練習でコーチに「キーパーやりたい」といきなり言うスーパードリブラーの発言に対し、「お!やってみな!」と言ってくれたコーチ。その次の練習でキーパーグローブをくれた。ビビるくらいデカくて、未だなお開発されていないスマホタッチ対応(穴だらけ)の臭いキーパーグローブだった。
そこから5年生6年生と県トレセンに選ばれるほどの選手に成長したのとともに足がめっちゃ遅くなった。笑
中学入学に伴いジュビロSS磐田に入団。周りのレベルも高く全国大会にも出場するなど素晴らしい体験ができた。
中3の夏、全国大会で川崎フロンターレと試合した。試合終盤、自分のチームメイトがスルスル抜かれていくのを目の当たりにし、最後の砦だー!と言わんばかりにボールに飛び込んだら余裕でかわされ、無人のゴールにシュートを決められた。後々知ったけどそのスーパードリブラーは三苫薫だったらしい。
青年期
前橋育英高校に進学。高校から親元を離れて寮生活。先輩怖すぎ。同期知り合いゼロから僕の高校サッカーはスタートした。
一年生の頃はA〜Fチームある中で一番下のFチームで、しかもセカンドキーパーだった。一年生の頃の記憶はまじでほぼなし。俗に言う「挫折」だった。
2年生になっても挫折が続いた。が、しかし!国体に早生まれ枠として選出。10年ぶりくらいに群馬県国体チームが全国大会に駒を進めた。そして全国大会では準優勝。守護神としてゴールを守れた。これはすごい経験だった。奇跡だった。挫折と言う言葉が吹っ飛んだ。チームに帰ってくるとBチームへ昇格。はい、奇跡。はい、天狗。笑
3年生になると念願のAチームに昇格。一年生の時に行けるはずもないと思っていた場所に立っていた。選手権もベスト8。試合にも出た。奇跡は起こった。奇跡とかの言葉で収まらないくらいのことだった。
大学は大阪体育大学へ進学。
Aチームで試合に出たのは10試合もありません。すごい同期や先輩に囲まれ、成長したことは間違いないと思う。
Jリーガーになるという夢は叶わなかったが、サッカーをさせてくれるチームが現れた。それが福山シティFCだった。
現在
サッカーと仕事の両立、一人暮らしなど人生初の経験がいっぱい!選手として人間として成長していると感じる。
チームメイトともとても仲良く過ごしているし、ピッチ内外でもよくコミュニケーションを取れて充実している。