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菊地大輝

Daiki Kikuchi
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム キク、ダイキ
生年月日 1997/6/25
出身地 東京都
身長 / 体重 184cm / 80kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 シュートストップ、低い声のコーチング
目標とする選手
好きな食べ物 カレー、家系ラーメン
好きなアーティスト AK-69
好きな色
好きな女性のタイプ 誠実な人
休日の過ごし方 ドライブ、散歩

所属・経歴

府中4BK
→府ロクジュニアユース
→国士舘高校
→作新学院大学
→ヴィアティン三重
→東京23FC

サポーターへのコメント

気持ちを前面に出し戦っていきます。応援よろしくお願いします!! P.S 「菊池」ではなく「菊地」です!!

プレーヤーズストーリー

幼少期

東京都府中市で 6月25日に産まれる。生まれた時は3600gと普通だったみたいだが、一ヵ月後には巨大化していたらしい。力士にでもなるんじゃないかと言われていたほどだった。幼稚園にサッカーのクラブチームがあり、友達もみんなやっていた事から4歳の頃にサッカーを始めた。

少年期

幼稚園のクラブチームに小学生のコースもあったが、府中4BKという別のチームに入団。 2 年生ぐらいまで FW をやっていた。その夏にダンプカーに轢かれる事故をし、骨折 3 箇所、ヒビ 4 箇所に加え、右足のふくらはぎの皮膚が剥がれる怪我をした。元々喘息を持っていた事もあり、医者からはこれを機にサッカー以外のスポーツをやってみればと勧められた。しかし迷う事なくサッカーを続け、この怪我を機にキーパーを始めた。 小学校3年生の頃、市民大会では毎回優勝を収め、チームとしてはまずまずという様なレベルになっていた。順調に結果を残し、1学年上の試合に出たり、ブロックトレセンに選ばれたりしたこともあり、徐々にキーパーが好きになっていった。中学校に入学後、初めてキーパーコーチと出会う。この出会いがサッカーにハマるきっかけとなった。基礎技術すら教え込まれて来なかった自分に、一から全部丁寧に教えてくれた。身長が高かったことから期待されていて、それに応えようと過ごしていたが、 3年生になる前にコーチがチームを離れることとなった。その別れがきっかけで、徐々にサッカーから離れ、友達との遊びが優先になっていった。しかし、監督とのご縁もあり高校への進学はスポーツ推薦で国士舘高校に行くことになった。ここからまたサッカーとしっかり向き合い、選手権出場を目標に頑張る事を決めた。

青年期

高校に入学後、トップチームで練習が始まった。練習はキツかったし、チームにも中々馴染めず練習に行ったり行かなかったりしていた。 しかし、チームに少しずつ慣れ始めた頃スタメンに抜擢された。引退した3年生がリーグ降格圏にいた為、入れ替え戦に出場するも敗北。高校の長い歴史の中で初めてのリーグ降格だった。当時非常に悔しかった気持ちを今でも鮮明に覚えている。もっとやれる自信はあったものの、全く通用しなかった。自分が最高学年になってからは、「選手権に出たい」この思いを胸に練習に取り組んだ。監督やスタッフとの衝突は多かったが、見放さず最後まで信じてくれた監督に恩返しがしたかった。試合に出場し続けたものの、選手権は準々決勝で負けて引退。思い返せば後悔しかない。そんな高校生活だった。高校サッカーが終わり「プロになりたい」という気持ちが強くあったので、 栃木 SC と提携していた作新学院大学に入学を決めた。 大学2 年生でスタメンを勝ち取り、リーグ戦は無敗で優勝。数年振りの関東リーグ参入戦に出場したが、結果は予選敗退。関東の壁は厚かった。 翌年は、リーグ戦無敗優勝に加え、天皇杯で栃木県勢初の大学出場を果たすなど、昨年成し遂げられなかった「関東リーグ昇格」に向けて日々練習に取り組んでいた。しかし参入戦は全敗。あまりにも呆気なく終わってしまった。 これまでの悔しさを胸に、迎えた大学生活最後の年。これまで無敗で勝ち進んでいた前期のリーグ戦でまさかの敗北。頭が真っ白になったと同時に、怒りでも悔しさでもない、言葉では言い表せないような気持ちになったのを覚えている。チームとしてリーグ最終戦を残したまま引退することも考えたが、最後までやり切ることに決めた。後輩たちに何か残せたのかは分からないが、個人としては最後までやり切って良かったと思う。

現在

大学卒業後、ヴィアティン三重に入団。今振り返ってみると、全く通用していなかったと思う。 練習試合をはじめ、紅白戦にも出場できない日々が続き、がむしゃらに練習した。毎日どうすれば上手くなれるのか、そればかり考えていた。そして半年が過ぎた頃、オーバートレーニング症候群と診断された。好きでやっていたサッカーも楽しくない、ボールやグラウンド、サッカー用具を見るだけで気持ち悪くなる。それに加えて食事は喉を通らず、眠れない日々が続き、体重は1ヶ月で 10 キロ近く落ちた。引退の道も考えたが、病院の先生やトレーナー、GMと何度も話し合い、環境を変えることで復帰できる人も多いとアドバイスを貰ったことから、移籍を決断。東京23FCから声を掛けていただき入団を決めた。サッカーを続ける環境を与えてくれたクラブには感謝しても仕切れない。しかしチームとしてはリーグ戦 8 連敗。苦しいシーズンだった。 個人としては、オーバートレーニング症候群を乗り越え、1 年間サッカーをやり切ることができて良かったと思う。 そして、ご縁があり福山シティFCの練習に参加させていただき、チームのビジョンや目指しているものを知り、このチームなら自分自身もっと成長出来ると強く感じた。このチームで上を目指したいと強く感じた。 福山シティFCのため、福山という地域のため、全力で熱く戦っていきたいと思います。 応援よろしくお願いいたします。