PLAYER

DF

平松 遼太郎

Ryotaro Hiramatsu
  • follow us!

【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム タロウ タロウちゃん
生年月日 1996/4/5
出身地 奈良県
身長 / 体重 173cm/73kg
血液型 B型
利き足
プレーの特徴 アグレッシブな守備、クロス
目標とする選手 リサンドロマルティネス
好きな食べ物 寿司、チーズケーキ
好きなアーティスト 10-FEET
好きな色 赤 蛍光色
好きな女性のタイプ 笑顔が素敵な人
休日の過ごし方 温泉 カフェ巡り

所属・経歴

アスペガス生駒FC
→アスペガスFC
→青森山田高校
→IPU環太平洋大学
→FC今治
→奈良クラブ

サポーターへのコメント

福山に夢と希望を与えられる選手になります!

プレーヤーズストーリー

幼少期

奈良県出身。幼稚園に入るまでは水泳を本格的にやっていたが、幼稚園に入って外遊びの時間に出会ったサッカーに衝撃を受ける。周りの友達も続々とサッカーチームに入っていったのもあり、水泳を辞めサッカーに専念することになった。

少年期

家の近所の友達が入っていたアスペガス生駒に入団。当時は周りの子よりも身体が大きく、足も早かったのでポジションはFW。ゴリゴリ相手を振り払ってゴールを決めるプレースタイルでめちゃくちゃ点を決めていた。また、フットサルにも力を入れており、4.5.6年生の時にはバーモントカップ(フットサルの全国大会)にも出場し、6年生の時にはベスト8まで進出。 東京ヴェルディジュニアにボコボコにされて、全国にはエグい奴らがめちゃくちゃおるんやと知る。

中学生になると、周りも成長期になりどんどん身長も抜かされ、かく言う自分は身長が止まり、以前のプレーが通用しなくなりFWをクビに。これが転機になりこの時期からDFに。FWをクビになってなかったらここまで来れなかったと思うし、監督の決断には感謝している。 また中学生の時もフットサル全国大会に3年連続出場。1年時に現在セルティックに所属する古橋享梧選手を擁し、全国優勝をする。

青年期

サッカーを始めた当初から憧れのあった高校サッカー選手権。 出場の可能性が1番高い高校はどこかを考えた時に出てきたのが青森山田高校で、セレクションにも合格し入学。 レベルの高い仲間、上下関係の厳しさ(大先輩フロントスタッフの藤田さんはめちゃくちゃ優しかったです笑)、寮生活、そして雪。何度も心が折れそうになったが、仲間と励まし合い家族のことを思いながら頑張った。あの時以上に過酷な日々はないと思えるくらい濃い時間だった。 高校3年生になり、スタメンとしてインターハイでは3位、そして夢にまで見た選手権にもスタメンで出場。日本一になるために過ごしてきた3年間。結果は1回戦PK負け。可能ならもう一度やり直したいくらい悔いが残る大会だった。

高校時代、たくさんの凄い選手を目の当たりにし、関東関西の大学に行っても埋もれてしまうと考え、体育の教員免許も取れるというのもあり、岡山のIPU環太平洋大学という出来て間もない新しい大学に進学。 高校とは違うフィジカルの強度やプレースピードに慣れるまでに時間はかかったが、 高校のときはお前はボール持つなと怒られてたくらい出来なかったビルドアップ、止めて蹴るが、監督や先輩のアドバイスもありそこが強みになるくらい一気に成長出来た。 毎年のように総理大臣杯、インカレ、3回生のときはデンソーにも選ばれスカウトにアピールすべく必死にプレーしていたが どこからもオファーはなし。 監督には就活を勧められたが、夢を叶えたい、高校時代の同級生に負けたくない、絶対にサッカー選手になる気持ちが強かったため断る。 そして監督のつてでFC今治に練習参加をすることができ、当初は3日の予定が1週間になり、また更に1週間と伸び、最終的に12月の中旬に入団が内定した。 連絡を受けた時は大学で卒論を作成しており、よっしゃぁとガッツポーズをして先生にびっくりされたことをよく覚えている。

FC今治に入団するのだが、同じく入団する選手の中にW杯出場経験のある駒野選手や元日本代表でマンUから点を取った橋本選手など錚々たる選手がたくさんおり、 ただのパス1本出すのにも緊張していた。 1年目はプロのレベルの高さに圧倒され何も出来ず天皇杯の県予選のみの出場におわりリーグ戦ゼロ出場。チームはJ3に昇格するが悔しいシーズンだった。 2年目は初めてのJリーグ。スペイン人監督の元7試合出場。出た試合では5勝2分で負け無し。手応えも感じてた中で契約満了。素晴らしい人がたくさん居る今治を離れるのは辛かったが、地元でもある奈良クラブからオファーがあり、移籍を決める。

奈良クラブ初年度はそこそこ試合に絡むことが出来、試合を重ねる事に成長出来ていたのを感じていた。シーズン終了前に膝を怪我し、完全に治ってないまま翌シーズンへ。開幕から出遅れたがチームは絶好調。スタメンは完璧に奪われメンバー外の日々が続く。JFL初優勝、J3昇格という奈良に初のJリーグをもたらすという快挙を達成出来たがここでも中心選手として活躍することはできなかった。

現在

奈良クラブ3年目の今年も変わらず序列を覆すことが出来ず、このままでは何も無いまま終わってしまうと思い、環境をかえ挑戦するべくお声掛け頂いた福山シティに移籍することを決心した。 自分の力を必要としてくれたこのクラブのために、自分の持っているもの全てを出し切りたい。 そして3度目の昇格を達成し、心の底から喜び、福山シティを応援する全ての方々と喜びを分かち合いたいと思っている。 必ず達成する。