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村田 要

Kaname Murata
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム かなめ
生年月日 2000/12/30
出身地 福岡県
身長 / 体重 187cm / 82kg
血液型 O型
利き足
プレーの特徴 シュートストップ、1体1、ロングフィード
目標とする選手 オリバーカーン
好きな食べ物 焼肉
好きなアーティスト ONE OK ROCK、lecca
好きな色 赤、黒
好きな女性のタイプ 思いやりのある人
休日の過ごし方 映画鑑賞、ゲーム、ストレッチ

所属・経歴

FCカミーリア筑紫野
→ブレイズ熊本
→熊本国府高等学校
→阪南大学

サポーターへのコメント

チームのJFL昇格に向けて、必ず力になるので応援よろしくお願いします。

プレーヤーズストーリー

幼少期

村田家の長男として福岡県糸島市で産まれる。3歳の頃からただボールが好きだという理由でサッカーを始め、寝る時は自分の布団の周りにボールを敷き詰めて寝ているほどだった。そして4〜5歳の頃、キーパーをやる人がチームにおらず、お試しでキーパーをやってみるとシュートを止める楽しさに快感を覚え、その日からキーパーを始めた。

少年期

小学生時代は、クラブチームの練習に行きながらアビスパ福岡のスクール生としてサッカーをしていた。普段の練習は土が多かったが、週に一度のスクール練習では人工芝でサッカーができ、高いレベルで練習が出来ていたのでその日はとても楽しかった。中学生になると父親の転勤で熊本に引っ越し、当時熊本で一二を争うブレイズ熊本でサッカーをすることになった。そこでは今までとは比べものにならないくらいレベルが高くついて行くのに必死だったが、その中でシュートを止めれた時はすごく嬉しくて楽しかった。しかし、その頃から成長期も重なり、治っては怪我を繰り返していた為、なかなか思うようにいかなかった時期だったと思う。

青年期

高校は家から近く県内でも強豪だった熊本国府高等学校に進学した。国府高校のサッカー部グラウンドは学校から片道14kmほど離れており、約2時間かけて自転車を漕いで向かう日々を繰り返した。練習開始時間が遅かったため終わる時間も遅いのだが、練習が終わったあとの自主練の時間がその当時は1番充実していた。誰もいないグラウンドで最後まで居残ってチームメイトとシュート練習ばかりしていたのがすごく楽しかった。2年生になって足首の腓骨筋腱脱臼により手術を行い、約半年間サッカーができない日々が続いた。その当初、高校卒業後は柔道整復師になろうと思っていたが、サッカーができない期間や、色んな人と出会っていく事がきっかけとなり、『プロサッカー選手になる』という目標を持つようになった。しかし現実は甘くなく、3年生になっても試合に出る機会はほとんど無かった。高校総体、選手権とPKが得意なのもあってPK専用キーパーとしてメンバーに入った。唯一、選手権の準決勝で秀岳館と対戦した時、延長後半残り5分から試合に出場し、PK戦にて勝利することができた。

現在

大学は大阪の阪南大学に進学した。初めて親元から離れて過ごすことになり、最初は不安もあったがチームメイトのおかげで充実していた。 この大学に来てからは本当に練習のレベルが高く、今までにないくらいレベルの差を感じた。当然、1年生の頃は一番下のカテゴリーからスタートし、Iリーグに出場するも全く結果を残すことができず、1シーズン32失点と最悪の結果を残すこととなった。しかしそれから1年ずつカテゴリーを上げていき、3年生の夏にトップチームに昇格することができた。そして3年生の秋、インカレ出場を決め、準優勝という結果を納めることができた。4年生の春、天皇杯大阪予選で試合中に肩を脱臼してしまい、手術をすることとなった。約半年間リハビリ期間を過ごすこととなったが、その間はチームのサポートをする中、たくさんの人の支えがあって自分たちがプレーできていることを実感した。この日からサッカーができることが当たり前ではなく、サポートをしてもらえることに感謝をしなきゃいけないと思えるようになった。
最後に、私自身がこのクラブを選んだ理由には、樋口さんをはじめ、スタッフの方々やサポーターの方のサッカーに対する熱意に惹かれたからであり、このクラブで1年間プレーをし、もっと上の景色を見たいと思ったし、チームが掲げるJFL昇格に向けて力になれるようにプレーしていきますので応援よろしくお願いします。