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DF

片山 修

Shu Katayama
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム しゅう
生年月日 1997/8/25
出身地 千葉県
身長 / 体重 179cm / 65kg
血液型 O型
利き足
プレーの特徴 左足のキック、運動量
目標とする選手 ジョルディアルバ
好きな食べ物 スパゲッティ
好きなアーティスト KANDYTWON
好きな色
好きな女性のタイプ 笑顔が素敵な女性
休日の過ごし方 温泉、ネットフリックス

所属・経歴

ペーニャFCバルセロナジャパン
→四街道中学校
→東京学館高等学校
→国士舘大学
→東京武蔵野ユナイテッドFC
→ブランデュー弘前FC

サポーターへのコメント

応援したくなるようなチーム、選手を心掛けて全力で走ります。共にJFL昇格しましょう。

プレーヤーズストーリー

幼少期

物心がついた頃から、兄の影響でボールを蹴り始める。兄のチームに特別で年少から入れてもらう。初ゴールは、ゴールを間違えて仲間のゴールに目がけてドリブルシュート。仲間が喜んでくれなくて怖くなったのを覚えている。 毎日家の前の道路で壁に向かってボールを蹴っていた。 とにかく体を動かすことが好きな子供だった。

少年期

小学3年時に兄の影響で入ったチームをやめ、バルセロナのサッカーをルーツとしているチームに入団。今思うと、自分のサッカー観のようなものはこのチームで形成されていったように思う。ポジショニングや止めて蹴るの大切さはこのチームで学んだ。中学校に進学しても同じチームでサッカーを続けたが、中学進学時に仲良かった仲間がほとんど辞めてしまったこともあり、そのチームを中学一年の終わりに退団することを決意した。そして、地元中学校のサッカー部に移籍。幸い、地元チームに所属していたほとんどの人がサッカー部にいたため、そこまでレベルが落ちるようなこともなかった。どちらかと言うと、上手くなるというよりは楽しくサッカーをしていた。部活動の中では少し上手い方でもあり、エゴを出すことの大事さはこの時に知った。

青年期

推薦で東京学館高校に入学。今思えばすごく楽しかったが、当時はきついことの方が多かったように思う。当時は県内でも割と有名な厳しい学校で、入学して初日の練習で顧問の先生から言われた「高校は3年しかない。人生の中の3年間しかないんだからその3年間くらいもがいて苦しめ」という言葉を鮮明に覚えている。これからどんなキツい毎日がやってくるのだろうと震え上がった。それでも高校3年間は人生を振り返っても1番と言っていいくらい充実した3年間だった。恩師との出会いや、先輩からのありがたいアドバイスなどは今でも心に残っている。恩師に言われた通りもがいて苦しみ、1番サッカーに時間をかけたのもこの時かもしれない。とにかく自主練をした。試合に負けた時は1人で高校に帰って泣きながら練習した日もあった。そんな努力も実ったのか、2年の時から試合に出れるようになったり、いろんな経験もできた。
大学も推薦で入学。しかし、大学では国体を経験したり、全国大会に出ているのが普通の環境に衝撃を受けた。どちらかと言うとサッカーがうまいと思ってきた自分が見てきたサッカーの世界は、とんでもなく狭くちっぽけな世界だったのだと思い知らされた。毎日必死に練習についていく日々に折れそうになる時もあったが、必死に必死に食らいついた。自然とプレースタイルも少し変わったりした。今ではいい変化だったと感じている。しかし、大学ではあまり日の当たるような結果は出なかった。それでも上手くなるためにサッカーに打ち込み続けたし、自分の中の自信は失わなかった。そんな折れない気持ちが現在もサッカーを続けることができている理由だと思う。

現在

大学では試合にもあまり出れなかったこともあり、プロからの推薦はもちろん来なかった。それでもサッカーを続けたくて自分からチームを探し、当時の東京武蔵野シティFCに入団をすることができた。社会人サッカーに慣れることに時間がかかり、試合も一年目は1試合しか出ることができなかった。その後ブランデュー弘前FCに入団をして、徐々に試合に絡めることも多くなり、いろんなポジションを経験することができた。自分でも成長できている日々を送れていると感じている。今年から福山シティFCの一員。サッカーに集中できる素晴らしい環境に感謝し、自分の力をチームに還元して必ずJFL昇格を成し遂げたいと思う。