鍼灸師&JASA-AT
松本 拓海
Takumi Matsumoto
プロフィール
ニックネーム | まっちゃん |
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生年月日 | 1993/10/4 |
出身地 | 大阪府 |
身長 / 体重 | 167cm / 63kg |
血液型 | A型 |
好きな食べ物 | 鶏肉料理 |
好きなアーティスト | FUNKY MONKEY BABYS |
好きな女性のタイプ | 笑顔が可愛い人 |
休日の過ごし方 | 映画やアニメを見る |
所属・経歴
ONE BODY
サポーターへのコメント
選手の怪我や不調を最小限にして、選手達が練習や試合に集中できるように全力でサポートしていきます!
プレーヤーズストーリー
幼少期
1993年10月4日、母親の地元である大阪府阪南市の病院で生まれる。育ったのは、だんじり祭りが有名な岸和田市。この頃は喘息、アトピー持ちでとにかく体が弱かった。月1ぐらいで風邪になるし、風邪を引いたら喘息になって病院で治療してもらっていた。運動会や旅行の前にはだいたい熱を出していたらしい(笑)
少年期
小学生になると同時に大阪府阪南市に引っ越し。
当時は習い事として水泳とソロバンをやっていた。両親がダイビング好きだったため泳げるようにしておきたかったのと、計算はできた方が良いとの思いだったとの事。
小学3年生から父親に連れられてセレッソ大阪の試合を見に行くようになり、その夏にセレッソ大阪のスクールをやっている事を知りサッカーを始めるきっかけになった。参加初日は全然動いてないのに練習後に喘息発作を起こして息苦しい中帰ったのを今でも覚えてる。
小学4年生の時にスクールと同じグラウンドで練習をしていたクラブチームに誘われて入団。スクールもやりながらだったので週6サッカーをしていた。家から近い所ではなかったので、行きは電車、帰りは親に迎えに来てもらい、土日の試合も親に送り迎えをしてもらっていた。今思えばよくやってくれたなと思う。感謝!
中学は学校のサッカー部に入った。中学時代はGK以外全てのポジションをやったと思う。
弱小校だったけど一番試合に出てて、一番サッカーすることを楽しんでいた時期かもしれない。中学でも水泳とソロバンは継続していた。どちらも1級までやり続けようと思いながらやっていて、1級取ったのを区切りにどちらも辞める事にした。ソロバンのおかげで数学は超得意科目になり、今でも計算するときは活きている。
青年期
高校は家から近いからという理由で受験。サッカーが強いわけじゃないしと思っていたけど入部してすぐに高校サッカーを舐めてたことを思い知らされる。全く練習についていけない(苦笑)とにかく練習についていくのに必死でしんどかった。
体力も付いてきて、それなりに動けるようになった夏休みに腰を負傷して離脱。この時初めて整骨院で治療をしてもらい、鍼治療というものがあることを知った。
高校でサッカーはやめようと思っていたので、比較的早く進路のことを考えていたと思う。漠然と「サッカーに携わる仕事がしたいな」と思っていろいろ調べている時に見つけたのがトレーナーという職業で、「これや!!」と思いトレーナー関連の事とトレーナーに繋がる専門学校や大学を調べるようになっていた。ただ調べていると「チームトレーナーは狭き門」とか「ほとんどの人はなれない」みたいな事を書かれている事が多くて不安になり、「トレーナーだけではなくもう一個何かあると良いな」と考えていて思いついたのが鍼治療の事だった。そこから鍼灸師の受験資格を取れる学校を探すようになり、目に留まったのが「鍼灸師の受験資格とアスレティックトレーナー(以下AT)の受験資格を同時並行で取れる」と謳っていた関西医療大学で、ここにしようと思い受験、見事合格することができた。
大学に入ってからは医療系の勉強で覚えることが多く、これはついていけないと思い中高ではやらなかった予習・復習をしたり、学校外のセミナーや講習会などにも参加するようにしました。4年生になるとAT実習・鍼灸実習・国家試験対策と勉強にかける時間が多くなった。大学が開いている22時前まで勉強をする事が多くなり、一緒に残っていた同級生と問題を出し合ったり、教えあったのはかなり思い出として残っていて、これまでで一番勉強を頑張った時期だったと思う。勉強した甲斐もあり11月のAT客観試験、2月の鍼灸免許国家試験は見事合格する事が出来た。その後3月にあったAT実習試験は残念ながら落ちてしまいましたが。。
同時に進めていた就活では自分に今一番足りない物は何だろうか?と考える所から始め、患者さんを診ていない事での臨床能力が無い事が一番の課題だと考えて一番患者さんに多く触れる事の出来る整骨院で働くことに決めた。また1人暮らしをしたいなという思いもあったので大阪から出ようと思い、千葉の整骨院で働くことになった。
千葉で働き始めてからは関東という地の利を生かそうと思い、セミナーにはなるべく参加して、そこで得た知識で整骨院の患者さんを診るという毎日。働きながらAT実技試験を見事合格し晴れてATとなる事が出来た時は大学での努力が報われた感じがしてとても嬉しかった。
社会人2年目の途中から縁があり大学のテニス部でトレーナーとして活動するようになった。スポーツに関わる事が出来てうれしい反面、やっぱりサッカーに携わりたいなという思いも徐々に強くなっていた時に樋口副代表のFacebookで福山シティFC(当時、福山SCC)のトレーナーを募集している記事を見つけ、「挑戦しよう!」と思いすぐに応募した。
現在
昨年の4月からトレーナーとして関わり、昨年は初めてのチーム専属トレーナーとして試行錯誤の1年間でした。その分、自分が成長できている事を感じる1年でもありました。それに何よりも、サッカーに携われている事に嬉しい気持ちもある1年間でした。これまで観客として見るだけだった天皇杯でベンチでトレーナーとして関わることができ、最後はJリーグチームと対戦する舞台にまで、選手たちに連れて行ってもらえた時はとても楽しかった。
今年もトレーナーとして選手のサポートを続けます。今年こそは天皇杯でのJリーグチームへの勝利をもぎ取れるようにより一層のサポートを行い、いずれ福山シティFCがJリーグに上がれるようにトレーナーとして精進していきたいと思います!!