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藤井 敦仁

Atsushi Fujii
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム あつ
生年月日 1998/12/11
出身地 広島県
身長 / 体重 178㎝ / 72kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 止めて蹴る
目標とする選手 小笠原満男
好きな食べ物
好きなアーティスト XG・美波
好きな色
好きな女性のタイプ 素朴な人
休日の過ごし方 部屋に籠る

所属・経歴

福山西SC
→FCバイエルンツネイシ
→広島皆実高校
→関西学院大学

サポーターへのコメント

サッカー楽しみます!

プレーヤーズストーリー

幼少期

広島県福山市で生まれる。父の影響で1993年のJリーグが開幕した年の試合のビデオを飽きるほど見ていた。今でもビデオに映っていた選手のプレーを鮮明に覚えている。当時の好きな選手はアルシンド。
サンフレッチェのサッカーの試合も家族でよく観に行っていた。

少年期

小学生になると、通っていた小学校のサッカークラブに所属した。父も一緒にコーチとして入ってくれたので、練習後にはその日のプレーについて2人で語りながら家に帰っていた。サッカーの他にもソフトボール、水泳、書道、塾といった習い事をしていた。我ながらハードな生活を送っていたと思う。一年中半袖半ズボンのTHE元気少年だった。チームは決して強くなく、大会で初戦突破するだけで、お疲れ様会が開かれるような弱小チームだった。しかし、6年生の時に初めて大会で優勝した。みんなで喜んだあの時の嬉しさは今でも忘れられない。
中学は中体連の部活と迷った結果、地元の強豪チームであるサンフレッチェ常石に所属した。市内の上手い選手たちが集まり、とてもレベルの高い環境でやることができて、自分自身の競技レベルがすごく上がった。それと同時に、このチームで過ごした3年間は今の自分のサッカースタイルに欠かせない土台となっている。中学2年生の時にチームはFCバイエルンツネイシに変わり、紫から赤のユニフォームへと袖を通すことになった。中国地方でトップを争う強さの中でサッカーをしているのがめちゃくちゃ楽しかった。個人としてもリーグ戦で得点王を獲得する活躍ができた。ちなみにこの時の好きなサッカー選手は前川和也。

青年期

当時広島県で1番強かった広島皆実高校に進学した。全国常連のチームの練習に初めて参加した時はプレースピードやフィジカルの違いに衝撃を受けた。1年生から試合に出場することができたが、サッカーをしていて初めて苦しさを感じた。でも同期のおかげで高め合うことができ、3年間すべての全国大会に出場するという最高の成績をおさめることができた。この時は福山から皆実高校まで通学していたため、両親にはすごく迷惑をかけていた。本当にありがたかった。
大学では日本一を取るため、プロになるために兵庫県にある関西学院大学に進学した。Jクラブとの練習試合や、その後プロに内定する選手と同じチームで練習できる環境で多くのことを吸収できたと思う。また関西学院大学は人としての成長もすごくできる場所だった。多くのミーティングや自分について深く考えることを通して、1人の人間としてすごく成長できた。しかし、日本一にはなれなかった。

現在

福山シティFCに加入して2年が経った。自分が生まれ育った町でまたプレーすることができるのはとても嬉しい。今までは自分のためにという思いを強く持ちながらプレーをしてきた。しかし、故郷でプレーをすると決まってからは今までとは違い、故郷のためにプレーするという特別な思いも湧いてきている。自分のプレーが誰かにとって良い影響を与えられるきっかけになれたら嬉しい。これからも自分本位ではなく、福山のために、応援してくれる人たちのために全力でプレーする。