トレーナー
登野城 大輝
Daiki Tonoshiro
プロフィール
ニックネーム | だいなそー |
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生年月日 | 1994/11/21 |
出身地 | 沖縄県 |
身長 / 体重 | 170cm / 77kg |
血液型 | B型 |
好きな食べ物 | 実家の八重山そば |
好きなアーティスト | AKLO |
好きな色 | 黒 |
好きな女性のタイプ | 笑顔が素敵な人 |
休日の過ごし方 | 読書 |
サポーターへのコメント
選手を支えていけるように全身全霊を注ぎます!熱い応援よろしくお願いいたします!
プレーヤーズストーリー
幼少期
沖縄県の石垣島で2人兄弟の長男として生まれた。この頃は目がとても大きく周囲から、落っこちそうなくらい大きい目だね〜といつも言われ、また走ったり、飛び跳ねたり、逆立ちしたり常に動き回っていたそうである。
少年期
登野城小学校、住所も石垣市字登野城、親の名前、自分の名前、記入する資料の項目全てに登野城がつきまとっていた。小学校入学を機に登野城という画数の多い漢字を書きすぎて嫌になっていた記憶がある。石垣島を離れた今ではこの名前のおかげで覚えていただけることもあり、かっこよさに気づきとても気に入っている。
幼少期から動き回り活発な子だったが、おとなしい性格だったようである。そのため親は団体競技の野球をして欲しかったみたいだが、友達に誘われて小学1年生からサッカー部に入部した。日に日に上手くなっていくことに楽しさを覚え、何をするよりもサッカーをしてる時間が1番好きで、時間を忘れるほどボールを蹴っていた。小学5年生の時にソウル市と石垣市の交流としてサッカー大会が韓国で開催された。初めての海外での試合は楽しく、いい刺激になった。1番印象に残っているのは韓国に行く何ヶ月も前からメンバーみんなと韓国語講座を受け、下手くそなりにも韓国の選手とコミュニケーションを取れたことである。仲良くなった選手からチマチョゴリのキーホルダーを貰ったのは今でも憶えている良い思い出である。
青年期
中学、高校時代は常に怪我に悩まされ、周りから仮病とイジられるくらい休むことが多かった。中学生の頃は、足関節捻挫を繰り返し治らずに練習が出来ない期間が長く、やる気もなくなっていた。そんな時、叔父さんからトレーナーを紹介してもらった。その方にアドバイスを頂いてから、時間はかかったが痛みがよくなっていった。どこに行ってもよくならなかったのでこのままずっと痛みが続くものだと思っていた。本当に嬉しくて感動すら憶えた。この体験がきっかけで将来逆の立場となって怪我や痛みで困っているスポーツ選手、特にサッカー選手の力になりたいという夢が出来た。その第1歩として石垣島を離れ岡山県の専門学校へ進学した。ここで今に繋がる大きな出会いがあった。それは1年生の時の担任が樋口さんだったということ。理学療法士やトレーナーについていろいろと教えていただいた。2019年理学療法士として日本鋼管福山病院に就職した。この時期からアシスタントトレーナーとして関わらせていただき、このクラブで多くの経験をさせていただいた。特に選手、スタッフの日々の努力を近くで感じれたことで私自身の現在地が明確になり目標に向かって進んでこれた。樋口さんとの出会いから始まり様々なご縁に恵まれ福山シティFCトレーナーとなることとなった。
現在
2023シーズン福山シティFCのトレーナーとして2年目となる。
2022シーズンの最後は涙をのむことになったが、これまで福山シティFCに関わる全ての方々と共に歩み、積み上げてきたものは必ずいい未来に繋がる。2023シーズン、今年こそは目標達成を。JFL昇格に向け選手たちがシーズンを戦い抜けるよう、全身全霊を注いでいく。