プロフィール
ニックネーム | ミム、マコ |
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生年月日 | 1989/3/30 |
出身地 | 広島県 |
身長 / 体重 | 167cm / 60kg |
血液型 | A型 |
利き足 | 左 |
プレーの特徴 | ドリブルと左足のキック |
目標とする選手 | ロナウジーニョ |
好きな食べ物 | 枝豆 |
好きなアーティスト | ケツメイシ |
好きな色 | 緑 |
好きな女性のタイプ | よく笑う人 |
休日の過ごし方 | 寝れるだけ寝る! |
所属・経歴
大町FC
→レヴァリーズ広島
→山陽高校
→拓殖大学
→ファジアーノ岡山
→ファジアーノ岡山ネクスト
→ファジアーノ岡山
→テゲバジャーロ宮崎
サポーターへのコメント
福山のために頑張ります。共に戦いましょう!
プレーヤーズストーリー
幼少期
広島県広島市に四兄弟の三男として生まれる。小さい頃から人見知りで母親の後ろによく隠れていたのを覚えている。
少年期
地元のサッカー少年団は小学三年生からしか入団できないチームだったが、父親がそこでコーチをしていたのと兄二人もサッカーしていたので、小学二年生くらいから勝手に練習に入っていた。父親からは『上手くなりたかったら人の倍練習しろ』と言われて誰よりもボールに触れていた。 高学年になると、サンフレッチェ広島の年間パスを買ってもらって毎回のようにホームゲームを見に行っていた。その頃から少しずつプロになりたいと意識しだしていた。年齢が上がるにつれて足も早くなっていき、それが徐々に自分のストロングポイントになっていった。中学に入ると面白いように相手をかわせるようになった。毎週末の試合がほんとに楽しみで前日からワクワクしていた。純粋にサッカーを1番楽しんでいたのはこの頃かもしれない。
青年期
高校では個人のスキルを磨きたいという思いもあり、そこそこ強くて一年生から試合に絡めそうな学校へ進学した。毎日、片道1時間自転車で通っていた。なかなか個性的なメンバーが揃っていた。そこでサッカーとはチームスポーツであり、みんなが同じ方向を向いていないと勝てないことも学ばせてもらった。三年のインターハイの県の決勝戦で、ライバル校関係にあった岡本代表擁する観音高校に負けたのはほんとに悔しかった。その後Jリーグのチームに練習参加させていただいた。全く通用しなかったがプロになる夢は諦めなかった。プロになるために大学進学を決めた。そこでの素晴らしい先輩方との出会いがプロになるという目標をよりリアルなものにしてくれた。そこではやり続けることの大切さを学ばせてもらった。
現在
ご縁があり今年から福山シティFCでプレーさせて頂くことになった。各年代で本当に素晴らしい指導者に出会い、素晴らしい仲間に恵まれたおかげでここまでサッカーが続けてこられたと思う。そんな自分のサッカー人生を賭けて福山のために戦わせてもらいます!共に戦いましょう!