GKコーチ
津田 啓生
Hiroki Tsuda
プロフィール
ニックネーム | ゼゼ |
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生年月日 | 1998/04/04 |
出身地 | 滋賀県 |
血液型 | A型 |
好きな食べ物 | 寿司 |
好きなアーティスト | B’z |
好きな色 | 緑 |
好きな女性のタイプ | 一緒にいて安心できる人 |
休日の過ごし方 | アクティブにおでかけしたい |
サポーターへのコメント
2024シーズンよりGKコーチを務めさせていただく津田啓生と申します。チームを勝たせるGKチームとなれるように、選手とともに日々成長していきます! チームのために全力で取り組みますので、応援していただければ幸いです!
プレーヤーズストーリー
幼少期
1998年4月4日、滋賀県大津市で3人兄弟の三男として生まれた。年の離れた兄2人が楽しそうに遊んでいるのを羨ましく思っていたのを覚えている。
少年期
兄が野球をしていたことから自分も野球をするつもりだった。しかし、当時仲の良かった友人の多くが少年団でサッカーをしていて、彼らが誘ってくれたことから、親に頼んで小学3年生から少年団でサッカーを始めた。少年団の活動は土日しかなかったが、放課後は校庭に集まってよくサッカーをしていた。自分は大した選手ではなかったが、仲間に恵まれ非常に充実した時間を過ごすことができた。
中学校は少しでもレベルの高いところでプレーしてみたいと思い、クラブチームでプレーさせてもらった。県内有数のクラブでもちろんレベルが高く、日々の練習から刺激的だった。この頃から、将来は指導者としてサッカーに関わり続けたいと思うようになった。試合にもなんとか絡むことができていたが、最後の高円宮杯滋賀県大会決勝でメンバー外になり、試合が始まる前から悔し涙を流したことは忘れられない。
青年期
高校は地元の進学校である膳所高校に進学した。受験勉強を頑張ってなんとか合格したのはいいが、大変な量の予習を求められ、まったく授業についていけなかった。サッカーの方もフィジカルレベルが一気に上がり、中学校の時のようにはプレーできなくなった。そうやって悩んでいる内に1年生のインターハイ予選が終わって、3年生が引退したことでGKが人手不足になり、尊敬していた先輩がGKにコンバートした。伸び悩んでいた自分はそれに続くようにGKにコンバートした。文字通り0からのスタートであったが、自分の成長を実感することができ、毎日の練習が楽しかった。2年生の夏からはGKチームをまとめる立場になり、自分たちが上手くなるためにどのような練習をすれば良いかを日々考えていた。仲間にも恵まれ、練習後に部室に残って真剣な話からしょーもない話までしたことは最高の思い出である。しかし、3年間公式戦のメンバーに入ることができず、大学でも選手としてプレーを続けることを決めた。
指導者を目指す上で幅広い知識を学ぶことができると考え、1年間の浪人を経て筑波大学体育専門学群に入学した。蹴球部での生活は、正直言うと辛いことの方が多い4年間だった。ずっと下の方のチームで、試合に出てもほとんど勝つことができなかった。それでもサッカーをするのは楽しかった。スタメンに選ばれなくても、試合で結果が出なくても、仲間と目標に向かって練習している時間は充実していた。グラウンド以外でも多くの時間をともに過ごした同期たちは、かけがえのない宝物である。
本格的に指導者としての勉強をするために、2年間の大学院に進学した。大学4年生の時にジョアン・ミレッ氏に出会い、彼のGK理論を学ぶことが1番の目的だった。大学院の授業や研究を進めつつ、GKコーチとして活動するのは多忙な日々だったが、大変充実した2年間を送ることができた。
現在
インターンとして大学院2年生の夏に2週間、そして地域CL決勝ラウンドの1週間に帯同させていただいた。GKコーチである西谷さんから多くのことを学ばせていただき、地域CLという非常に貴重な経験をさせていただいた。あと1歩でJFL昇格を逃す悔しさを味わうことができたと捉え、今シーズンはなんとしてでもJFL昇格を成し遂げたい。そのために選手とともに成長し続け、チームの勝利に少しでも貢献していきたい!皆様、応援よろしくお願いいたします!