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野浜 友哉

Tomoya Nohama
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム のは、はま
生年月日 2001/11/26
出身地 広島県福山市
身長 / 体重 167cm / 62kg
血液型 AB型
利き足
プレーの特徴 スーパーハードワーク
目標とする選手 イニエスタ選手
好きな食べ物 餃子
好きなアーティスト Mr.Children
好きな色
好きな女性のタイプ 笑顔が素敵な人
休日の過ごし方 ショッピング

所属・経歴

熊野サッカークラブ
→FCバイエルンツネイシ
→京都サンガF.C U-18
→立命館大学

サポーターへのコメント

JFL昇格に向けてチームの力になれるように精一杯頑張ります。 応援よろしくお願いします!

プレーヤーズストーリー

幼少期

幼少期はとにかく落ち着きのない子だったそうです。家の中でも外でも走り回っていて元気いっぱいでした。幼少期の頃は特にサッカーをしていた訳ではなく、いろんな遊びをしていました。外で鬼ごっこをしたり、家でカードゲームしたり、二つ上の兄とずっと一緒に遊んでいました。

少年期

小学校2年生の頃に熊野サッカークラブに入ることになりました。全国大会に出れるほど強豪ではなく、福山でそこそこ強いくらいのチームでした。指導者も同級生もみんな仲が良く、本当に楽しくサッカーをしていました。中学校は、兄も所属していた地元のFCバイエルンツネイシに行きました。市内の上手い人たちが集まって、レベルの高い環境でサッカーに打ち込むことができ自分自身大きく成長できた3年間でした。中学3年時にはキャプテンも任され、チームとしても2回全国大会に出場することができました。ただ、2回とも全敗で全国の舞台では1勝もすることができませんでした。

青年期

高校ではセレクションで合格した京都サンガF.C.U-18に行きました。1年目は公式戦に2試合くらいしか出場できず、今まで主力で活躍してきた自分にとって試合に出られないのは苦しくて、練習に行くのが嫌になった時期もありました。2年生の頃からは少しずつ試合に絡めるようになり、3年生の時にはクラブユース全国3位、プレミアリーグ2位と素晴らしい成績を収めることが出来ました。プロになることも出来ず、高校での3年間は悔しい思い出の方が多いですが、プロのような充実した環境、サッカーに対する意識の高さ、練習に対する姿勢、など年代別代表選手や現在でもプロの舞台でプレーする仲間と過ごす中で多くのことを学び、自分にとって財産になるほどの経験をすることが出来ました。

高校ではプロになることができなかったので、そのまま立命館大学に進学しました。選手主体のチームで、チーム運営や練習決めなどを選手で行う組織でした。4年時には副将も務め、サッカーだけでなく人間としても成長することが出来ました。サッカーでは、2年生の頃からチームで試合に出れるようになりましたが、大学では華々しい成績を残すことは出来ませんでした。プロからは中々声がかかることなく、進路が決まらないまま引退を迎えることになりました。

現在

福山シティFCさんに声をかけていただき、地元の福山シティFCに入団することになりました。もう一度、地元でサッカーができることに喜びを感じています。福山シティFCのJFL昇格を達成するために、自分が持てる力を全力で出して戦います。個人としても、プロサッカー選手という目標を達成するために、初心を忘れず、もう一度この地元の福山から這い上がっていけるように頑張ります。応援よろしくお願いします!