PLAYER

DF

小笠原 佳祐

Keisuke OGASAWARA
  • follow us!

【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム おが
生年月日 1996/6/7
出身地 山口県
身長 / 体重 177cm / 74kg
血液型 A型
利き足
プレーの特徴 周りを鼓舞する
自分の性格 考えすぎちゃう
目標とする選手 松田直樹 選手
好きな食べ物 オムライス
好きなアーティスト Mr.Children
好きな色
好きな女性のタイプ えくぼがある人
休日の過ごし方 コーヒーを飲む

所属・経歴

秋南FC
→秋芳南中学
→レオーネ山口
→東福岡高校
→筑波大学
→ロアッソ熊本
→藤枝MYFC
→SC相模原

プレーヤーズストーリー

幼少期

山口県秋芳町という当時人口6000人ほどの小さなまちに生まれました。秋吉台や秋芳洞が観光名所として有名でご存知の方もいるかもしれません。そのカルスト台地の麓、大自然の中ですくすくと育ちました。

父は野球部出身だったため、ボールを蹴るよりも先にキャッチボールをしていた記憶があります。でも僕のまちには小学生で野球ができるクラブが存在せず、兄がスポーツ少年団でサッカーを始めたことをキッカケに僕もボールを蹴り始めました。

少年期

9歳の時に兄と同じスポーツ少年団でサッカーを始めました。休み時間は目一杯グラウンドでボールを蹴り、放課後もサッカーの練習で夜暗くなるまでボールを蹴っていました。

そのまま地元の中学校に進学しましたが、サッカー部が無くなるという噂が立ち、レオーネ山口(現:レノファ山口)に移籍しました。中1の途中で加入したレオーネ山口では人生で初めての全国大会を経験させてもらいました。大量失点で敗退してしまったのですが、同年代のトップレベルのプレーに触れ、サッカー選手としての現在地を知ることができました。届かない場所にあるわけじゃなさそうだけど、既にトップレベルとの差が大きくあるなという感覚は中学生ながらに感じました。

ちなみにですが、所属していた小学校のチームは無くなり、中学校も統合され、レオーネ山口も合併してしまったため今は残っていません。少し生まれる年代が違えばサッカーを始められていなかったかもしれないと思うと今でも不思議な気持ちになります。

青年期

練習試合をさせてもらっていたご縁や中学校の先輩が進学していた繋がりもあり、高校は東福岡でサッカーがしたいと決意し受験しました。入ってみると部員数が300人を超えており、ここでAチームのユニホームを着ることはないだろうなと思っていたので、勉強をメインに頑張ろうと切り替えていました。日中は50分授業を0限から8限まで受け、そのあと皆とは2時間遅れで部活に参加。夜9時までボールを蹴ったり筋トレをしたりして帰宅し、寮に戻ったら夕飯を食べて風呂に入って掃除して勉強して寝る。こんなサイクルの生活で毎日をこなしていく感覚でした。

でも、Bチーム所属だったとき、いつも通り授業を終えて部活に出るとBチームの練習が終わっており、急遽人数合わせでAチームの練習に入ることになったのです。たまたまその日の調子がよく、そのまま怪我するまでの数ヶ月間Aチームに在籍することができました。どこにサッカーのチャンスが転がっているかわからない。本当に不思議です。そのあとFWからDFに転向し、3年生からはAチームに再び戻ることができました。夏にはインターハイで優勝、冬の選手権にも出場でき、部活でサッカーをする高校生にとってとても幸せな1年間になりました。

筑波大学に入ってからもはじめはレベルの高さに全くついていけませんでした。蹴球部で一緒にサッカーをしていたメンバーのほとんどがプロになったから考えてみれば当たり前なのだけれど、やっぱり心が折れそうになりました。でもコツコツ頑張っていればチャンスはくるもので、1年生の途中から試合に出させてもらえるようになり、2年生のときにインカレ優勝、3年生のときに関東リーグ優勝・天皇杯でのJリーグ撃破を経験することができました。4年生のときには主将も任せてもらいました。就職活動を途中でやめてしまっていたので就職浪人も考えましたが、チャンスがあるならと思いロアッソ熊本でプロサッカー選手の世界に飛び込みました。

現在

加入リリースでも触れさせてもらいましたが、SC相模原と契約満了になってからサッカーを続けるかどうかめちゃくちゃ迷いました。やめるならこのタイミングしかないとも思っていました。

何か大きな決断をするときには、完璧な決断というのはないと思います。後悔を伴わない大きな選択もありません。サッカーのプレーと同じで、選んだ選択を正解にしていく。自分が選んだ福山シティFCでの道を正解にしていく。精一杯がんばりたいと思います。応援よろしくお願いします!