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FW

藤本 憲明

Noriaki FUJIMOTO
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム のり
生年月日 1989/8/19
出身地 大阪府
身長 / 体重 175cm / 76kg
血液型 AB型
利き足
プレーの特徴 ゴールに直結するプレー
自分の性格 The AB型
目標とする選手 興梠慎三
好きな食べ物 魚卵
好きなアーティスト 強、I.T.1
好きな色 ゴールド
好きな女性のタイプ 笑いのセンスが同じ人
休日の過ごし方 食とコーヒー

所属・経歴

ガンバ大阪堺ジュニア
→ガンバ大阪堺ジュニアユース
→青森山田高校
→近畿大学
→佐川印刷SC
→鹿児島ユナイテッドFC
→大分トリニータ
→ヴィッセル神戸
→清水エスパルス
→ヴィッセル神戸
→鹿児島ユナイテッドFC
→いわてグルージャ盛岡

プレーヤーズストーリー

幼少期

父は野球派、いつもテレビは阪神タイガース。ただ野球しろとかなにしろとかは全く言わない。
サッカーを始めたのは小2の時。理由は、野球は止まっている時間が多く、ずっと走って動いていたいと言っていたらしい。最初は地元の少年団でやって、母親が見つけてきた大阪府堺市で活動しているガンバ大阪堺ジュニアに入団。週4日か5日ぐらいで練習をして、練習のない日でも公園でサッカーやサッカーゲーム。当時はガンバのエンブレムを着けているだけで嬉しかった記憶がある。足が速かったので、ポジションは右のウイング。勉強は………。

少年期

小中学校は地元の学校に通い、ガンバ大阪堺の練習場まで自転車で片道40分ぐらいかけて練習に通っていた。地区の選抜に選ばれたり全国大会にも出たりと、当時のメンバーはそこそこ強かったと思う。大阪の同じ学年には、セレッソ大阪に柿谷曜一朗、ガンバ大阪に安田晃大、という天才が2人いた。中学ではずっとFWをしていた。
中3になってどこに進学するのか明確なものがないまま、監督に青森山田に行かないかと言われてすぐに練習に参加するため青森に飛んだ。2日間の練習に参加し、そのまま入学を決めた。入学式の日、まだまだ雪が残る青森に降り立った時、ドキドキと緊張したのを覚えている。

青年期

青森山田に入学した時の3年生には、その夏のインターハイで優勝した先輩たちがいて、憧れていた。小澤竜己、伊藤俊、松本怜は、全員の憧れの存在になっていた。
1年の時はBチーム、毎日バスで少し離れた土のグラウンドで練習をしていた。時には走って行った。毎朝の朝練、毎日練習、必死でついていった。学校に行っても、担任は監督の黒田剛。夜は寮で筋トレ。22時消灯。朝6時から練習して、ご飯。登校して点呼掃除、午前中は授業してダッシュでお昼ご飯。午後から4時間ぐらい練習していたのかな。OFFの日もグラウンドで自主練。
初めてトップチームに上がったのは、2年の夏前。ひとつ上の先輩にはロメロフランク、川西翔太。ばーり怖かった。今は優しい。試合に出ることはなかった。2年の選手権の前、監督に呼び出された。びくびくしながら職員室に行った。終わった、怒られる、そう思った。そこで「サイドバックをやれ」と。すぐに返事をして、その日の練習から初めてのサイドバック。たくさん怒られながら成長したけど、試合に出るまでにはいかなかった。
3年の時は試合に出られたけど、全国大会では結果は残せなかった。進路を考える時、また明確な考えはなかったけど、当時大学の関西大会で近畿大学が優勝してるのを見て監督に行きたいと伝えた。なんとか入学することができた。
1年から試合に出させてもらえた。3年時に監督が変わったタイミングで高校2年以来のFWにポジションが戻った。就活しようと思いながらダラダラ時間が経ち、サッカーで生きて行くしかないと4年の時に決心。Jリーグのチームに練習参加したりしたけど契約できず、いろいろなご縁があって当時JFLの佐川印刷SCに入団。社会人に。

現在

佐川印刷に入社して午前中は練習、午後は仕事。4年間プレーさせてもらい、国体優勝も経験した。
チームの解散があり、チャンスと思って移籍先を探していた時にその年にJ3に昇格した鹿児島ユナイテッドFCからオファーがあり即決。鹿児島で2016、2027年と2年連続得点王になることができたが、チームは昇格できず。
個人としては、昇格でJ2の大分トリニータに移籍。2018年大分で12ゴールを挙げ、J1に昇格できた。2019年J1開幕戦、鹿島アントラーズ相手に2ゴールで勝ち、一番記憶に残る試合になった。
夏にヴィッセル神戸に移籍し、イニエスタ、ビジャ、ポドルスキ、西大伍、山口蛍、酒井高徳という世界や日本を代表する選手たちとプレー。
2021年夏から半年、清水エスパルスにレンタル。降格争いの中で残留することができた。
23年に鹿児島に2度目の移籍。そのシーズンにJ2に昇格し、翌24年にはJ2に定着するために戦ったが、アウェイで一度も勝てずに降格。
25年はいわてグルージャ盛岡に移籍。昇格を目標に豪華なメンバーと共に戦い、結果は出なかったが、19ゴールで得点王と、ベストイレブン。契約満了になったがチームから再契約の提示があり、福山シティFCのオファーを一度断る。次の日、諦めることはできないという岡本代表から、自分への熱い気持ちと昇格への熱意、福山の可能性をもう一度聞き、自分も実は福山シティFCのことは気になっていて正直行きたかったし、将来の福山シティFCにワクワクしていたことに気付く。引越しの面やカテゴリーのところが気になっていたが、2回目のオファーで決断。
この福山のまちにJリーグチームを!
FOR THIS CITY – このまちと、ともに –