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福田 玲央

Leo FUKUDA
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【自己評価】パーソナルチャート

プロフィール

ニックネーム れお
生年月日 2000/8/2
出身地 大阪府
身長 / 体重 183cm / 80kg
血液型 B型
利き足 右足
プレーの特徴 左右両足の長短のパス
自分の性格 チャレンジャー
目標とする選手 ロドリ
好きな食べ物
好きなアーティスト ALL OFF、ロザリーナ
好きな色
好きな女性のタイプ 包容力のあるお姉さん
休日の過ごし方 サウナ、アニメ鑑賞、ゲーム型

所属・経歴

高槻WINS
→大阪セントラルFC
→ガンバ大阪ジュニアユース
→金光大阪高校
→京都産業大学
→高知ユナイテッドSC
→ヴィアティン三重
→沖縄SV

プレーヤーズストーリー

幼少期

大阪府高槻市で生まれる。正直記憶はないが、近くのサッカーチームの見学に親に連れて行ってもらい、ボールを蹴った時の楽しさと、日本代表の試合を観に行った時の、当時サッカーのことは何もわからないのにあのどうしようもない高揚感は鮮明に覚えていて、サッカーを始めた。

少年期

小学校に入ってからは、地元の高槻WINSというチームでサッカーをしていた。人数も少なく、助っ人次第で大会に参加できるようなチームだった。本気でやっていくうちに他のチームメイトとの温度差を感じ、実家から電車で45分以上かかる大阪セントラルという強いチームに移り、本格的にプロサッカー選手になるための練習をした。そのチームで何度も全国大会を経験し、ガンバ大阪のジュニアユースからオファーをいただき、入団した。

中学校に入って、小学校時代から天狗になっていた鼻をポッキリと折られた。人生で初めての挫折を経験。何度も対戦し、何度も倒してきた選手にも気が付けば追い抜かれ、チームでも下から数えた方が早いような立ち位置になった。焦りが増し始めた中学2年の夏前から腰椎分離症になり、半年近く動けなかった。焦りがさらに増し、そして成長期に入り、怪我で動けなかった期間で身長が10センチ以上伸び、心身ともにアンバランスな選手となった。復帰しても体が思うように動かず、ダッシュをするとすぐに転んでしまうようになってしまっていた。思うように動けるように戻った頃には中学3年の冬になっていて、何もできずに終わった。

青年期

試合にあまり出ていなかったにも関わらず、金光大阪高等学校からスポーツ推薦の話がきた。中学での悔しさと自分の体に対する怒りでサッカーをやめようとさえ思った矢先に、雰囲気だけでも味わうために一度来てほしいと言われ、練習に参加した時に高校生らしい力強いプレーとスケールの大きいサッカーに再び心が沸き立ち、ここでサッカーをしたいと思い入学した。中学時代とは打って変わり、1年の夏前からスタメンに定着し、2年で主力の地位まで登り詰めた。インターハイ予選を2度、選手権の予選を3度経験したが、一度も全国のピッチに立つことはできなかった。個人的には選抜などに選ばれたが、こんな自分に声をかけてくれた岩松先生に全国優勝、日本一の監督という形で恩返しをできなかったことは生涯心残りに感じるほど悔しく、それぐらい恩がある。必ず第一線で輝き、俺が育てたと自慢できる選手になることがマストだと思う。そして大学の進路選択を迫られた高校3年で京都産業大学を選び、1回生の頃から少しずつ出場機会を伸ばし、3回生の時に30年ぶり以上となるインカレ出場を果たした。

現在

社会人になってからは、縁があり高知ユナイテッドに入団。1年目は全く試合に絡むことができず挫折。しかし縁あって、森下仁志さんにサポートしてもらう形になり、試合に出られなくて腐るどころか、純粋にサッカーをする楽しさを取り戻し、自分自身でもわかるほどに成長していた。そして2年目、開幕スタメンを勝ち取り、チームも怒涛の開幕7連勝。全てスタメンフル出場でチームに貢献した。しかし、病気などで休んでしまい戻ってきた時にはポジションはなく、途中出場もあったが、また苦しい時期が始まった。そしてその年、高知ユナイテッドは悲願のJリーグ参入を果たしたが、自分に来年も在籍できる席はなかった。次の年にヴィアティン三重に移籍し、出場機会を求め沖縄svに移籍。そして2026年シーズン、福山シティという素晴らしいチームから話をいただき、プレーさせていただく。