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テクニカルスタッフ兼コーチ / 森本 雄貴

テクニカルスタッフ兼コーチ

森本 雄貴

Yuki Morimoto

プロフィール

生年月日 1996/09/22
出身地 埼玉県
血液型 A型
好きな食べ物 そば
好きなアーティスト SUPER BEAVER
好きな色
休日の過ごし方 YouTube・カフェ

所属・経歴

上越春日FC
→FC Cano
→アンフィニ越谷/レスチ埼玉

プレーヤーズストーリー

幼少期

埼玉県本庄市に3人兄弟の長男として生まれた。外でボール遊びをするのが好き。おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くことが多く、近くの公園でボールを蹴ったり、キャッチボールをしたりして遊ぶ時間が大好きだった。また頭を使う遊びも好きで、よくパズルや将棋をして遊んでいた。

少年期

小学校に上がると、興味が「ボール蹴り」から「サッカー」に変わった。父の影響が大きかったと思う。その後、中学、高校と地元の学校でサッカーを続け、多くの仲間や指導者と出会った。決して順風満帆な選手生活ではなかったが、今でも強烈に覚えているのは高校時代のことだ。進学先は近隣の公立高校だったが、父の知り合いで、指導者としても尊敬できる先生のもとでプレーすることになった。1年生の頃から、少しではあるが上の代のチームにも絡めるようになっていた。転機は、その先生が2年生の4月に異動になったことだった。

新しい顧問には、前年まで副顧問だった先生が就任した。僕はどうしてもその先生と馬が合わなかった。ある試合での失点を自分の責任だと言われ、納得できず反論した。その翌週から完全に干された。遠征先では、決して多くない部員数にもかかわらず、同学年で自分だけが外され、ウォーミングアップから試合まで一人で1年生の中に混じって活動したこともあった。本当に悔しく、バスの中で一人泣いた。初めてサッカーが嫌いになった。練習にも真面目に取り組めなくなった。そんな僕を、サッカーの神様は見ていたのだと思う。

3年時の最後の合宿最終日、朝起きようとした瞬間に腰に激痛が走った。何とか起き上がったものの、バスの中で座っているのもつらかった。遠征先から急いで病院に行くと、「腰椎椎間板ヘルニア」と診断された。医師からは「サッカーを続けたいなら手術をしなさい。次に大きな衝撃が来たら、下半身麻痺になる可能性がある」と言われた。痛みと衝撃、そして少しの安堵感があった。「もうこんな悔しい思いをしなくて済むのか」とも思い、サッカーを辞めた。

青年期

ヘルニアになってからは、少しサッカーから離れた生活を送っていた。そんな時にワールドカップが開催された。日本代表を応援する熱は高く、「ああすればいい」「こうすればいい」と仲間内で議論する時間が増えた。その内容をSNSで発信してみると、予想以上に多くの反応をもらい、サッカー仲間が増えた。今振り返ると、そこが指導者を目指すターニングポイントだったと思う。その後は地元チームで指導をしながら、大学サッカーの分析サポートなどにも関わった。

大学は教育系に進学した。4年時には教員採用試験に合格したが、当時はサッカーの道と教育の道のどちらに進むか決めきれず、最終的に採用を保留にしていただき、大学院へ進学した。そこでB級ライセンスも取得し、いよいよ本格的にサッカーの道へ進もうと考えたタイミングで母に相談した。返ってきた答えは「お父さんは先生になってほしがっていたよ」だった。父は大学在学中に急逝していた。まさに「死人に口なし」だった。両親への恩返しの気持ちもあり、教員になる道を選んだ。

「教員になればサッカー部で指導できる」と思っていたが、現実は甘くなかった。赴任地はさいたま市。サッカーが盛んな地域であり、配属校ではすでに指導枠が埋まっていた。それでも「サッカーの世界で生きたい」という思いは消えず、仕事終わりにクラブチームで指導する生活を続けた。本気で指導者として上を目指そうと決意したのは、ある人たちとの出会いがきっかけだった。

小学生年代の大会に「U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ」という大会がある。縁があり、僕はその大会に2度参加させてもらった。1度目は岩政大樹さん、2度目は橋本英郎さんのチームで、短期間ではあったがコーチとして活動した。この2度の経験は非常に刺激的で、多くの学びがあった。また2度目には、現在奈良クラブで指導している内野智章さんとも関わることができた。内野さんは興国高校での指導経験があり、「教員を辞めて指導者として生きること」について相談させてもらった。そして僕は教員を辞める決断をした。この出会いがなければ、今も教師を続けていただろう。年度途中で辞めたことについては本当に申し訳なく思っているが、背中を押してくれた先生方や生徒たちには心から感謝している。

現在

福山シティFCの存在は以前から知っていた。ばら、デニム、そして地域リーグ所属でありながら天皇杯で躍進したチーム。その活躍は、遠く埼玉にも届いていた。そんなチームに加わることができ、とてもうれしく思っている。ただ、ここがゴールではないことも理解している。チームとしてはJFL昇格、そしてJリーグへ。個人としては、このチームから信頼され、勝利を後押しできる存在になりたい。

昨年まで、僕はあるJリーグクラブのサポーターだった。そのチームを応援するために昨年はアメリカにまで行った。サポーターとしてのもどかしさ、どれだけ勝利に貢献したくても声でしか後押しできない歯痒い気持ちも知っている。今は当時よりも、もう少し近い場所でチームの勝利に貢献できる立場にいる。ファン・サポーターの皆さんの思いも背負い、このチームにより多くの価値をもたらしたい。