
プロフィール
| ニックネーム | エブ |
|---|---|
| 生年月日 | 1998/5/31 |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長 / 体重 | 181cm / 73kg |
| 血液型 | A型 |
| 利き足 | 右 |
| プレーの特徴 | 高速シザース |
| 自分の性格 | 真面目ぶってるおちゃらけ |
| 目標とする選手 | のりさん |
| 好きな食べ物 | 焼肉全般 |
| 好きなアーティスト | バーナーボーイ |
| 好きな色 | オレンジ、水色 |
| 好きな女性のタイプ | 奥さん |
| 休日の過ごし方 | 読書か散歩 |
所属・経歴
野火止同好会
→青森山田中学校
→青森山田高校
→順天堂大学
→水戸ホーリーホック
→FC岐阜
→カセサートFC
→トラートFC
プレーヤーズストーリー
幼少期
1998年5月31日に三國家の長男として東京都小平市で産まれる。幼少期の頃から身体を動かすことが好きで、歳が2つ離れてる弟とよく外で遊んでいた。その時は特にスポーツをやりたかったわけではなく、ただ走ったり遊具で遊んだりするのが楽しかった思い出がある。
少年期
小学1年生からサッカーを始めた。スタートした理由は学校から家にサッカースクールの宣伝ハガキが届き、母親からサッカーやってみれば?の一言から。身体を動かすのは好きだけど、何をしたいかは全く考えてなかった。今思えば1番最初にサッカーのハガキが家に来て良かったなと思う。
そこから1年サッカーを続けてたら、隣の家のお姉ちゃんがバスケを始めた。家の前でバスケの練習相手(遊んでもらってただけだと思う。)をしてるうちにバスケ面白いとなり、小学2年生の途中からサッカーとバスケの二刀流がスタートする。そこからは毎週土日は大忙し。サッカーの練習や試合のあとバスケの練習に走って向かっていた。その生活を5年生まで続けた。そこまでは楽しく毎週土日だけサッカーとバスケをやっていたけど、とある日、サッカーの選抜のコーチにもっと上手くなりたいなら、平日も別のチームで練習しろと言われた。その瞬間からサッカーが優先になっていき、これからはサッカー一筋で頑張って行くと決めた。
そんな中、進路について考えていた時、初めて高校サッカーを観た。ほんとにたまたまテレビをつけたら選手権決勝青森山田対山梨学院。結果は山梨学院が優勝した。けど、僕は青森山田にすごく惹かれた。柴崎岳さんのような選手になりたいと強く思った。その思いを母親にすぐに伝え返ってきた言葉が、行ってきなさい。すごく背中を押された。正直本当に行っていいの?って思ってた。大人になってから周りから話を聞くと母親以外の親戚、友人宅皆んな反対していたらしい。だけど母親の気持ちは変わらなかったと言っていた。
そして、無事青森山田中学校に入学。
すっごく過酷な生活がスタートする!!
青年期
中学と高校で6年間親元を離れ青森で生活していたが、何回家に帰りたいと思ったことか。
特に中学生の時は毎日が大変すぎた。
洗濯、掃除、買い物今までやってもらっていたことを全て自分でやらなくてはいけなくなった。そして、親の偉大さにも少し気付き始めた頃だった。
1年生の秋ごろ少しずつ青森での生活にも慣れ、サッカー部以外にも多くの友達ができ、すごく充実する日々を過ごせるのうになっていた。慣れてしまってからはスゴかった。ほんとにサッカーの事しか考えてなかった。笑
雪が降る期間を除いて毎日朝練、午後は練習と学校行ってる間以外は基本グラウンドにいたと思う。(寝る時間などは除いて)
それぐらい、サッカーが好きだったし向上心高くやってた。周りに負けたくない気持ちもすごくあった。
そんな生活を3年間やり切った。
中学を卒業した時は達成感がきたけど、まだ3年あるのか。って気持ちになった時もあった!笑
高校に入りサッカーのレベルは一気に上がる。1年目、2年目はほぼBチーム。Bチームでも試合には少ししか出れなかった。すっごい悔しかったし、同じ1年でもAチームでスタメンで出てる選手もいて、差をすごい感じてた。
もちろん、1年目は選手権のメンバーにも入れなかった。2年目は登録には入ったけど、サポート役。
あ、当時、平松遼太郎(通称ゴリ)さんはしっかりメンバー入ってバリバリ出てました!!
そして、ついに高校生活ラスト。
なぜか分からないけど、急にスタメンの布陣に僕の名前があった。最初見た時はやっとここに立てるって思ったのを強く覚えてる。
周りのチームメイトにも恵まれ、3年時にはインターハイベスト4、プレミアリーグ優勝、高校サッカー選手権優勝と幾つものタイトルを取ることができた。
柴崎岳さんに憧れ青森山田に入学しチーム皆んなで柴崎岳さんの記録を破れたことは本当に嬉しかったし。青森に行って良かったと本気で思った。
最高な形で青森を去ることができた!!
現在
中学、高校時代は清水エスパルスの下部組織でプレー。周りには上手い選手が沢山いました。ここで初めて挫折を味わいました。中学1、2年生の頃は、ほとんど主力として試合に出ることが出来ませんでした。もともと自主練は好きなタイプではありませんでしたが、このままではダメだと感じ、自分のプレーを様々な角度から見直し、改善に取り組んでいた時期だと思います。その結果、中学3年生になると試合も出れるようになりユースに昇格することができました。
ユース時代も、それほど順風満帆ではありませんでしたが、高校2年生から試合にも出れていたこともあり、高校3年生になるとトップチーム昇格を強く意識するようになりました。
しかし、結果としてトップ昇格することは出来ませんでした。大学に進む選択肢もありましたが、自立して家族の力になりたいという気持ちが強く、プロの道を強く志願し、当時強化部担当だった伊達さんの繋がりでファジアーノ岡山に練習参加をすることが出来、後に入団することになりました。















